今も民間の空襲被害者は置き去りにされている「大阪空襲訴訟」の集団提訴から10年

太平洋戦争開戦から77年となる2018年12月8日を前に、大阪市長居障がい者スポーツセンターで6日、大阪空襲訴訟を伝える会が主催する「戦争被害を考える平和の集い」が開かれた。「戦争孤児―『駅の子』たちの思い」の著者で立命館宇治中・高校教諭の本庄豊さん(64)による記念講演、元原告の吉田栄子さん(84)が自らの体験を語った。(新聞うずみ火 矢野宏)

講演する本庄さん=大阪市東住吉区

大阪大空襲の被災者らが国に謝罪と補償を求めて提訴したのは2008年12月8日。国は旧軍人・軍属には恩給や年金を支給しているが、民間の空襲被災者には何ら補償をしていないからだ。裁判は4年前、最高裁が上告を棄却したことで敗訴が決定したが、国会での援護法制定を求めて世論の支持を訴えている。

本庄さんが戦争孤児を調べるきっかけとなったのは児童養護施設だったと振り返る。

「生徒を理解しようと児童養護施設を訪ねたら、戦後、戦争孤児たちの施設として発足していた。孤児院時代の資料が残されており、『駅の子』と呼ばれた戦争孤児たちが京都駅でたくさん暮らしていたことがわかったのです」

厚生省(当時)が1948年にまとめた「全国孤児一斉調査」によると、全国の戦争孤児は約12万6500人。空襲や原爆などで親を失った孤児、旧満州などから単身で戻ってきた孤児、逆に取り残された孤児、日本を占領した米軍と日本人女性との間に生まれ、捨てられて孤児になることもあった。その多くは駅周辺で暮らし、闇市を徘徊し、鉄道を使って全国を移動するケースもあったという。

聞き取りした一人に、福井県の敦賀空襲で孤児になった小倉勇さんがいる。大阪や神戸、長崎などの駅を放浪しながら仲間たちと暮らしていた。その後、視力を失い京都府の施設「伏見寮」に保護される。

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