今も民間の空襲被害者は置き去りにされている「大阪空襲訴訟」の集団提訴から10年

「銭湯で寮の指導員が背中を洗ってくれた時、『真面目にならなあかん』と立ち直る決意をするのです。寮から盲学校に通い、今では京都市内でマッサージ師として暮らしています」と話す本庄さんは、こう訴える。「全国のすべての駅に孤児がおり、孤児を助ける人もいた。こうした事実を掘り起し、教材にしたい」

講演後、本庄さんと戦争孤児の本を出版した中学教諭の平井美津子さんを交え、吉田さんに体験を聞いた。

吉田さん㊧に体験を聞く本庄さんと平井さん=大阪市東住吉区

吉田さんは小学4年の時、大阪府岬町に縁故疎開中、1945年3月13日深夜の大空襲で大阪市浪速区の自宅が全焼。叔父夫婦を含め11人のうち9人が犠牲になった。

「最初、母の姉が引き取ってくれたのですが、兄が養子に入ったのでお世話になりましたが、兄夫婦が離婚し、父の妹の家へ。一番居心地がよかったのですが、その叔母が亡くなり、母の弟の家に引き取られました。4人目の赤っちゃんができ、子守りをしながら家のこと一切をやりました。水道もガスもない家でしたので、井戸から何十杯も水を汲んできて風呂をわかす。いつも叔父や叔母の顔色をうかがって生活していました」

最後に弁護団として裁判に関わった大前治さんが「国会議員の顔色をうかがうのではなく、空襲被災者の思いをぶつけるような運動を繰り広げ、援護法制定を求める世論を広げていきましょう」と訴え、集いを締めくくった。

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