「金玉医者」のモデル 江戸の名医・高橋玄秀が施した「セクハラ治療」

ちょっと下ネタです。けど、ほんのちょっとだけ。日々奮闘しているお医者さんへの当て付けではないので、お付き合いのほどを。

患者のいない藪医者の家へどういうわけか、江戸八丁堀の伊勢屋という大店から迎えがやってくる。娘が長患いで診てもらいたいと。医者は診て、気うつという病気だという。毎日往診してくれ、だんだん良くなってきた。伊勢屋の主人が娘が良くなったのはなぜかと聞くと、実は娘さんをおかしがらせるため、立膝をしてふんどしの脇から睾丸を半分見せたのだという。聞いた主人、自分もやってみようと、娘の前で睾丸を出した。娘はまさかと思った父親が出したので大笑い。途端にアゴが外れてしまった。「先生大変です」「どうしました」「少したくさん見せたので、娘のアゴが外れました」「そりゃあ、あまり薬が強すぎました」

こういう一連の噺を破礼噺(バレばなし)といい、あまり高座ではやらない。ごく内密の会や、宴会など酒の入った場所でホン軽く演じられる。中にかなりエッチな噺もあるが、これらこそ滅多に聞けない。

 

江戸時代の医者はまあええ加減やったみたい。幕府の奥医者などは学問もして研修も積み、しっかりとした見識も備え、また、長崎などで西洋医学を学んだ医者もいたが、数は少なかった。江戸時代初めはひどく、五代綱吉はひいきの能役者を奥医者にしたり、田沼意次は妾の縁類を奥医師に推挙している。が、こんなことは寛政時代にはほぼなくなったという(三田村鳶魚全集)。

町医者にもひどいのがいて、落語の餌食になっている。タケノコ医者というのは成長して藪(医者)になるそうな。雀医者はこれから藪に飛んでいこうという。まあ、随分とからかわれたものだ。なぜこうもからかわれたのか? 昔の町医者は乗り物医者と徒歩医者(かちいしゃ)に分かれていた。乗り物医者は駕籠に乗って往診する。徒歩医者は薬箱を持った供を連れ歩いて行く。料金も安い。乗り物医者は供も多く、昼時には食事を辞退し、代わりに食事代を要求した。いつしか、昼時でなくても食事代や心付けを要求した。供の多い医者は侍2人、鋏箱持、薬箱持、長柄持、草履取、それに六尺(駕籠舁き)4人、都合10人にもなった。嫌われるわけだ。

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さて、「金玉医者」だが、これにはモデルがいて江戸八丁堀に住んでいた高橋玄秀だという(鳶魚全集)。登場する娘の病気ももとは労咳(ろうがい=肺結核)だったが、演者によっては気うつに変えた。さて、この治療法だ。落語の誇張もあるが、なかなかユニーク。でも、現代社会なら立派なセクハラ。なんとか娘の病気を治してやろうという意気や良し。が、方法が問題。昔も今も大切なのは患者(人)に寄り添うこと。医療もそうだが、政治も行政も一緒だ。このコロナ下、政府も役所も、もっともっと国民の思いや願いに寄り添って欲しいよねえ。(落語作家 さとう裕)

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