
おった、おった、やくざ映画を見てその気になって「ごめんなすって」。まさに昭和の良き時代。落語界では二代目桂春蝶の十八番の一つが新作「昭和任京伝」だった。(新聞うずみ火編集部)
細い体に大きな目、愛嬌たっぷりに阪神タイガースを持ち上げたりこき下ろしたり。亡くなる数年前に茨木の自宅にお伺いして、奥さんの手料理でお酒をいただいたのが、懐かしい思い出だ。

二代目桂春蝶
二代目桂春蝶(1941~1993)は古典も新作も得意だったが、新作の「昭和任侠伝」は当時の世相を反映した傑作であった。この噺は桂音也が1970年代初めに創ったとされるが、春蝶が名作に磨き上げた。
「任侠道」に憧れる男。安物の雪駄姿で街をうろつき、毎日任侠映画を見ては「健さんかっこええなあ……」と悦にいりながら自宅の八百屋に帰る。「おっ母さん。今、帰(けえ)って来たよ。妹のさくらはもう寝たかい?」「さくらやない。カズコじゃ!」
風呂屋への道すがら、女性に「お兄さん」と声をかけられると「おっと! 姐(ねえ)さん、流れ者に寄っちゃいけねえ」と大見得を切るが、「手ぬぐい落ってますけど」と教えられ、ずっこける。風呂屋の客の刺青に憧れ、彫り師のところへ。ひと刺しの痛みに耐えられず身をよじり、「赤チンはござんせんか?」と泣き、彫り師に追い返される。
「刑務所に入ろう」と、たたき売りのバナナ1本を手に取り、「警察へ突き出しておくんなせえ」と言うが、バナナ売りは八百屋の息子だと知っており、「家(うち)に仰山(ぎょうさん)バナナあンのに…」とあきれる。何もかも思惑通りにいかず、嘆きながら家に帰ると真っ暗。「ああ、おっ母さん。右も左も真っ暗闇じゃあござんせんか」「アホ! 今停電じゃ」
当時の世相に合った噺だった。1960年代から70年代にかけて、東映の任侠路線でやくざ映画が大ヒット。当初批判的だったマスコミも、その圧倒的な人気の前に徐々にトーンダウン。社会現象にまでなった。フアン層も、普通のサラリーマンから職人、本物のやくざから学生運動の闘士まで幅広かった。
映画は例えば、斜陽のやくざの組に草鞋を脱いだ一匹狼の男。組員は大きな組にいたぶられいじめられ、遂に堪忍袋の緒が切れ、男は相手の組に単身殴り込む。おおむねワンパターンのストーリーだったが、主役の鶴田浩二や高倉健、菅原文太に人々は熱狂した。大きな権力組織に非力な男が歯向かう姿に、学生運動の闘士たちも自身を投影して、学園祭のタテカン等にやくざ映画の主人公を描き「止めてくれるな オッカサン!」などと、真面目なのかいちびっているのか? そんな風潮を面白おかしく批判的に笑いにしたのが「昭和任侠伝」だった。
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今や日本の権力者も小粒になり、学生たちも牙を抜かれ、右も左も真っ暗闇。そこへこのコロナ。せめてタイガースの優勝をと願った夢もはかなく散るのやろか。(落語作家 さとう裕)