
熊本県南部を中心に記録的な豪雨が襲い、甚大な被害が出た。県内の犠牲者は64人に達した(7月13日現在)。7月12日の晩、神戸港でフェリーに車を積み、翌朝、宮崎港から被災の中心である人吉市、球磨村を3日間取材した。(ジャーナリスト 粟野仁雄)
南側から球磨川を渡った人吉市の相良地区。渡った橋の隣の鉄橋が半分消えている。切れ目まで近づき、こわごわ撮影した。天気は悪い。濁流がごうごうと流れているのかと思ったが、水量は少なく底が見える部分も。「これでもいつもより多いですよ」と若い女性。
東から西の八代平野へ向かう球磨川は両側から無数の支流が流れ込む。支流といっても阪神間の小河川と違い立派な川が多い。
「暴れ川」と恐れられ1965年と82年には大被害をもたらした。下流域で一部狭くなる。流域に豪雨が降れば一挙に水かさが上がる構造で氾濫は年中行事だ。
国道219号を球磨村方向に走って驚いた。高い電線に草やごみが引っかかっている。似た光景は、一昨年に取材した岡山県真備町など西日本豪雨の現場よりも、東日本大震災で津波に襲われた直後の宮城県陸前高田市の気仙川だった。
じわーっと水位が上がるのではない。津波のように一挙に流域をのみ込んだ。へし折れたコンクリート柱や踏切、道路標識などがすさまじい破壊力を示す。
片づけをしていた荒川昭洋さん(75)は「屋根に上がって救助を待ってたけど全然来ないんで、飛び込んで泳ぎました」。驚嘆すべき泳力だ。
妹さんは「兄は足が少し悪いのでリハビリ代わりにスイミングスクールに通っていたのがよかったみたい」と話した。荒川さんの家の周囲は壊滅状態だ。
■濁流あっという間
入所者14人が亡くなった球磨村の老人ホーム「千寿園」を訪れた。川べりにあると思ったが、河畔から離れた高台に建っている。豪雨での土砂崩れは想定されても、水没は考えられない。運の悪いことに同園は1階を居住部屋にし、2階が事務室などだった。

14人が亡くなった「千寿園」=熊本県球磨村
駆け付けた村の住民福祉課長の大岩正明さん(51)は、園の職員、消防団員、近所の男性とともに車椅子ごと入所者を階段で2階に運び上げていたが、まもなく暗然とする。入所していた母ユウコさん(83)の救助が間に合わず亡くなったと知らされた。「新型コロナで高齢者施設には入れなかったので久しぶりに母に会ったら車椅子で心地よさそうに寝ていました。その時は全員助けられると思ったのですが……。あっという間に濁流にのまれました」と振り返る。水没など「想定外」だった園にはエレベーターもなかった。
今回、球磨川へ流れ込むはずの園近くの支流が逆流して園に流れ込み、越水量は過去の災害の比ではなかった。「村の神瀬(こうのせ)地区で代々、米穀店を営んでいた母は地域でも親しまれた活発な人でした。こんなことになるなんて。運命でしょうか」と語る大岩さんには悲しむ暇もない。葬儀もできないまま、災害対策本部で指揮を執っている。