
阪神・淡路大震災の発生から1月17日で26年。被災者支援を続けてきたNPO法人「よろず相談室」理事長の牧秀一さん(70)が活動の集大成として、震災で障害を負った「震災障害者」らの体験をまとめた証言集「希望を握りしめて」(能美舎)を出版した。神戸市内で17日に開かれたトークイベントで、牧さんは「災害に遭った人たちはもちろん、これから起こりうる災害で被災者となる人たち、支援者や行政に阪神・淡路大震災の経験を知ってもらいたい」と語った。(新聞うずみ火 矢野宏)
定時制高校教師だった牧さんは、震災直後に自宅近くの神戸市立御影北小学校に開かれた避難所でボランティア活動を始めた。リーダーから「先生だから人の話を聞けるでしょ」とお願いされたのがきっかけで、被災者と向き合うことになる。
ボランティア仲間と「よろず相談室」を設立。避難所に通い、被災者の声に耳を傾けた。震災翌年からは自殺や孤独死を防ぐため、仮設住宅を回り、復興住宅の高齢者を訪問して声をかけてきた。その数は130世帯に上る。
「やっぱり、ほっとかれへんかった。被災者にとって必要なのは『自分一人ではない』『訪ねてくれる人がおり、気にかけてくれる人がいる』と感じてもらうこと」という牧さん。「被災者から1日で7時間以上も話を聞いた時は、乗ってきた自転車をふらつきながら押して帰るのが精いっぱいやった」と振り返る。それでも孤独死を防げなかった時は自分を責めたという。

発生から26年を迎えた阪神・淡路大震災
「活動している意味がないから、やめようと思った。その時に、亡くなった人の隣に住んでいる人が声をかけてくれたんや。『また来たらええやんか』と」
東京から毎月1000円ずつ送り続けてくれる支援者らの存在にも励まされたという。
■行政動かした集い
震災で負ったけがの後遺症に苦しむ「震災障害者」の支援活動も続けてきた。毎月1回の「震災障害者と家族の集い」もその一つ。きっかけは、震災前に通った喫茶店のマスター岡田一男さん(80)との再会だった。岡田さんは震災で18時間、がれきの下敷きになり、クラッシュ症候群で右足に障害を残していた。「震災後、重い荷物を背負ってきました。薄紙をはぐようにしていきたい。同じ悩みを持つ人たちが気楽に集まれる場があれば……」
牧さんは、孤独死や自殺といった悲惨な出来事に目を奪われていたことに気づかされたという。
「死者の陰に隠れて、障害を残した人の情報すらなかった。障害を負ったとはいえ、『生きているだけましなのでは……』との思いもあった」
集いに参加した人たちは「ここは泣ける場や」と言って一緒に泣き、「これで、あと1カ月頑張れるわ」と帰っていった。
参加者の一人、城戸洋子さん(40)は倒れてきたピアノの下敷きになり、脳に障害が残った。当時中学3年生。運ばれた病院で「生存率3%」と告げられた。奇跡的に意識は戻ったが、震災から6年後に「高次脳機能障害」と診断された。知的、身体、精神の三つの障害を持ち、障害者作業所に通っている。
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