福島・楢葉町に「原発悔恨の碑」 半世紀の警鐘 後世にも

東京電力福島第一原発事故で一時、全町避難した福島県楢葉町に「事故を防げなかった悔い」を刻んだ石碑が建てられ、東日本大震災の発生から10年の3月11日、宝鏡寺で除幕式があった。「電力企業と国家の傲岸に立ち向かって40年 力及ばず」と始まる「原発悔恨・伝言の碑」には「原発は本性を剥き出し、ふるさとの過去・現在・未来を奪った」との避難住民の悔しさが記されている。事故の反省もなく進められる原発再稼働に対し、住職の早川篤雄さん(81)は「このままでは『原発大事故、次も日本』になりかねない」と訴える。(新聞うずみ火 矢野宏)

宝鏡寺は、福島第一原発から南西15キロの山あいにある浄土宗の寺院。創建は室町時代の1395(応永2)年で、早川さんは30代目住職にあたる。高校で教鞭を取りながら、半世紀にわたって反原発の運動を続けてきた。

「1971年3月26日を境に私の人生が変わった」と、早川さんは振り返る。福島第一原発1号炉が営業運転を開始した日であり、南隣の広野町で東電の火力発電所誘致が議決された日だった。早川さんは学習会を重ね、確信する。「原発も火力も公害は必ず起こる」

3年後、国は福島第二原発1号炉の設置を許可した。宝鏡寺から数㌔の場所だった。設置許可の取り消しを求め、周辺住民404人が提訴したのは75年1月のこと。早川さんは原告団の事務局長を務めた。

一審、二審とも棄却。チェルノブイリ原発を視察した早川さんは「原発大事故、次は日本」と警鐘を鳴らしたが、最高裁は92年に「安全は確保されている」として上告を退けた。

住民側の敗訴が確定して20年近く過ぎた2011年3月、長年訴え続けた原発事故が現実のものとなる。

反原発運動に取り組んできた伊東さん

人口8000人の楢葉町は全町避難を余儀なくされた。早川さんが身寄りのない障害者12人を連れて頼ったのは、いわき市の「浜通り医療生活協同組合」理事長の伊東達也さん(79)だった。元高校教師で地元の大気汚染問題に取り組み、市議や県議を務めたあと、反原発運動をともに闘ってきた同志である。

血相を変え、飛び込んできた早川さんの第一声を、伊東さんは今でも覚えている。

「伊東さん、とうとうやっちまったよ」

東電に対し、「地震と津波対策に万全を尽くせ」と繰り返し交渉してきた2人。伊東さんも「とうとうやっちゃったな」と応じるほかなかった。

いわき市は一部の市域を除いて福島第一原発から30キロ圏外にあるが、事故直後には放射性プルーム(放射性物質を含む空気塊)が観測されている。それでも避難指示区域に指定されなかったことから被害が小さいと見られ、沿岸部の浪江町や大熊町、双葉町、富岡町などから住民が次々と避難してきた。

1

2 3

関連記事

2022年9月
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  

ピックアップ記事

  1. 「こんな女に誰がした」の歌詞で知られる「星の流れに」。この歌が生まれたのは、旧満州(現・中国東北部)…
  2. 「歌は世につれ世は歌につれ」ということわざがある。歌は世の中の時勢や成り行きにつれて変化し、世の中の…
  3. 岸田政権が「安倍国葬」を強行しようとするのはなぜか。旧統一教会や日本会議、限られた資本家などが安倍元…
  4. 「国民に丁寧に説明する」と臨んだ今月8日の閉会中審査で、岸田首相はなぜ「安倍国葬」を実施するのか、四…
  5. 日本映画黄金期の松竹、日活、東宝、大映を渡り歩き、45年の短い生涯に51作品を残した異才・川島雄三(…

うずみ火商店




ページ上部へ戻る