今も惜しまれる「伝説の天才落語家」桂枝雀

百面相のような豊かな表情とオーバーアクション、独特の癖のあるギャグで「上方落語の爆笑王」と呼ばれた桂枝雀。 朝の連ドラや映画に出演するなど俳優としても人気を集めていた中でうつ病が再発し、1999年に自殺。遺書はなかったという。落語作家のさとう裕さんのコラムです。(新聞うずみ火編集部)

二代目桂枝雀(1939~1999)が爆笑王に変身する前(前名・小米)は、正統派の落語で割合地味な語り口だった。でも、関西テレビ「お笑いとんち袋」(1965年10月9日~67年3月25日)の大喜利では、いかにもひょうきんでいちびりの面を見せていた。随所にインテリっぽい回答も見られ、共演していた桂文紅は、「発想が奇抜で、そんなことあるかーというようなことを、さもあるかのように言って笑いを取った。苦し紛れに出す彼の答えが珍無類だった」と述べている。

桂枝雀

 

73(昭和48)年10月に道頓堀角座で「2代目桂枝雀」を襲名(笑福亭枝鶴、桂福團治とのトリプル襲名)。これをきっかけにそれまでの落語を変え始めた。初代春団治にもたとえられる所作や声の強弱、メリハリの利いた芸風になり、爆笑落語を生み、人気者に。

劇的に変わる数年前から彼の模索があった。東芝EMIの「枝雀落語大全」の解説(戸田学)によると、内弟子時代に読んだ星新一のショートショートに触発され、SR落語を作り始めた。SRは、Short Rakugoの頭文字、SF Rakugoの意味合いも持つという。ラジオ大阪「オールナイト 叫べ! ヤングら」(66年12月5日~69年5月3日)で紹介したところ、リスナーから反応があり69年春から大阪の太融寺で「SRの会」を毎月開くようになったそうだ。SR落語とはどんなものか、二、三紹介すると、

「おっちゃん、そこのいてんか。日が陰るねんな……ちょっとのいてんか」

「おっ、今この犬、物を言うたんと違うか……まさか、犬が物を言う訳ないわな」

「おっちゃァん……そこのいて言うてんね。ちょっと寒いねん」

「うわっ、犬が物を言うとる」

「お父ちゃん、何さっきからワンワン言うてるの」

奇妙な味わいの噺だ。犬と父がしゃべっているのを、横で息子が聞いているという設定。次などはさらに不可思議だ。

「けったいやなァ。この万年筆、なんぼでもインク入るで。もうこれでインク瓶10本目や」

「見てみ。あいつ真っ青になってる……」

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昔のスポイト式の万年筆なのだ。かなりSFチックである。そこそこの数の噺が作られたが、数年の活動で終えた。このような試行錯誤と熱心な古典落語の修練がどういう化学反応を起こしたのか、あの爆笑落語が生みだされた。素人時代、弟と漫才コンビを組み、数々のラジオの演芸番組に出演、高評価を得たのも下地にあっただろう。

枝雀の師匠の桂米朝(上方落語名鑑より)

 

もともと稽古熱心で、多くの奇行を残している。深夜歩行中にネタ繰りをして警察に通報されたり、ネタ繰りに没頭し掃除機を部屋の随所にぶつけ什器(じゅうき)を壊したり。米朝の妻は「周りを気にせずのめり込む人は、後にも先にもあの子のほかにはいなかった」と評している。襲名後も古典を60席に絞り日夜稽古に励んだ。しかし、うつ病を再発させ99年4月に没した。生前まだまだ模索していたという。生きていればどんな噺家になっていたか、残念でならない。享年59。(落語作家 さとう裕)

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