江戸落語にはあるのに、上方落語に「真打制度」がないのはなぜ?

江戸落語にあって上方落語にはないのが「真打制度」落語家にとって階段みたいなものであり、序列を決めるもの。前座から二つ目へと上がって真打へ。上方はそんな階級みたいなもんが嫌いやねん…ではなさそうです。昔は上方落語にも真打制度があった。なんでなくなったのか…。(新聞うずみ火編集部)

ロシアの侵略戦争が止まらない。大義も国際ルールもすべて無視。一般市民を攻撃するわ、原子力発電所にも攻め込むなど滅茶苦茶。黒田清さんが「戦争は最大の人権侵害だ」と述べていたが、まさに今、ウクライナでそれを目の当たりしている。それにしても国際社会の無力さよ。誰かプーチンの狂気を止められないのか。他人頼みがもどかしい。

1トン爆弾のレプリカ

 

落語講座などで、関東はあるのに「上方落語」に真打制度がないのはなぜ? とよく聞かれる。上方落語の真打制度はもとはあったが、なくなったのだ。原因は戦争だ。第2次大戦の空襲で寄席は焼かれ、噺家は戦地で亡くなったり、無事帰ってきても寄席がない。戦後、上方の噺家は10人前後になってしまった。そんな時に真打もなにもあったものではなかったのだ。東京の噺家は何とか上方よりも多く生き残り、寄席もわりあい早く復興して真打制度も維持された。

上方の真打制度はいつまであったのだろう? 富士正晴の『桂春団治』(講談社文庫)の巻末に、作者作成の「桂春団治年譜」と「桂春団治を書くために出来上がった上方落語年表」なる資料があり、その両方に「1914(大正3)年、春団治真打となる」とある。これを見る限り、大正3年まで上方落語界には真打制度があったことが分かる。ちなみに、年譜には同じ年に「京屋の芸妓相香と徳島へ駆け落ち」とか、さらに同年12月3日「岩井松之助死亡、志う四十六歳で後家となる。翌年、春団治岩井志うと親密になり、事実上トミ・ふみ子の妻子を捨てた形となる。……後家殺しと評判になり、人気大いに出る」とある。これが、いわゆる「後家殺しの春団治」の異名の由来である。今となると後味のよくない話だ。

初代桂春団治

 

話が横道に逸れた。真打制度とは、東京を例に見ると、落語家は入門すると前座見習いとなり、次いで前座に。二つ目になって、10年も修行すればいよいよ真打だ。真打になれば寄席のトリも取れるし、弟子も持てる。が、年季さえ務めれば真打になれるわけではない。ただ、昔は年功序列で、ある程度務めれば真打にしてもらえた。また、席亭などに認められると先輩よりも早く真打になれた。これが「抜擢真打」というやつで、何人抜きで真打昇進などと言うのがこれだ。思い起こすと、古今亭志ん朝や柳家小三治、春風亭小朝などが、多くの先輩を抜いて真打になっている。生意気な素行が問題視され、志ん朝に追い抜かれた立川談志が、それはそれは悔しがった逸話も残る。

古今亭志ん朝

 

80年代には真打昇進の決め方を巡って落語協会が大もめに。結果、圓生一門の落語協会脱退、続いて立川談志の脱退と立川流創設や先代円楽の円楽一門会などに分裂。一方、上方落語協会も天満天神繁盛亭が誕生した時(2006年9月)、真打制度の復活が模索されたが、結局実現しなかった。

おすすめ記事:古今亭志ん生の十八番の一つ人情噺「替り目」…おかしさの中にも妻への深い思い

こうして見てくると、上方に真打制度がないと嘆く必要は全くないようだ。(落語作家 さとう裕)

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