明石歩道橋事故21年 遺族らが再発防止願って記録集

2001年7月21日夜。兵庫県明石市の歩道橋で群衆雪崩事故が起き、花火見物客11人が死亡した。圧死だった。遺族と弁護士の有志が事故や裁判を振り返る『明石歩道橋事故 再発防止を願って~隠された真相 諦めなかった遺族たちと弁護団の闘いの記録』(神戸新聞総合出版センター2200円)が出版された。(ジャーナリスト 粟野仁雄)

「明石歩道橋事故 再発防止を願って~隠され得た真相 諦めなかった遺族たちと弁護団の戦いの記録」は神戸新聞総合出版センター(078・362・7138)まで

 

JR山陽本線の朝霧駅から線路をまたぐ「朝霧歩道橋」は花火会場の大蔵海岸へつながる。花火が終了した午後8時半、帰宅する人と出店を楽しもうとした人が衝突した。当時、長さ100メートル、幅6メートルの橋に約6000人がいた。1平方メートル当たり最大13~14人と、息もできない超過となる。一人にピアノが乗る圧力というから幼児や高齢者はひとたまりもない。海岸へ下りる階段が通路の半分の幅しかない構造も影響したが、子供とお年寄りが犠牲になった。

71歳だった草替律子さんは潰されかけた見知らぬ幼児を高く抱え上げて「この子を助けてー」と叫びながら力尽きた(幼児は助かった)。当時、あざだらけで腫れあがった痛々しい足が写真週刊誌に載った。「真実を知ってほしかった」と話していた夫の与一郎さんも今はいない。

下村誠治さんは次男の智仁ちゃん(当時2歳)を失った。「橋から下を見ると警察5人が隊を作って歩いていた。みんなわらをもすがる思いでアクリル板を必死に叩きました。彼らは何度も下を往復しましたが、何もしなかった。智仁に『絶対にここから動くな』と言って、押し潰されている人たちを必死でごぼう抜きにして救助して、戻ったら……」

明石警察署

 

この日、明石署は暴走族対策に人員を大量投入し、会場にはわずかしか配置せず、橋から携帯電話で助けを求められても動かなかった。「地面に置かれていた瀕死の息子を抱えて通りかかった警官に助けを求めたら『私は機動隊なので』と去ったんです」(下村さん)。

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事故後、主催者の明石市、警備会社「ニシカン」、明石署が責任をなすり合ったが、市職員3人、明石署の地域官とニシカン社員の合計5人が業務上過失致死傷で有罪となる。しかし、遺族らが警備の責任を問うた明石署長と副署長を神戸地検が不起訴に、検察審査会が起訴相当と議決しても不起訴を繰り返した。だが10年からの改正検察審査会法で、2度の起訴相当議決で「強制起訴」となる。署長は死去したが、副署長は指定弁護士が検事役をつとめる強制起訴の全国第1号となった。副署長は責任を署長に押し付け、公訴時効で免罪となった。

花火の時間、明石署で橋の様子をモニターで見ていた署長らは「録画し忘れた」と主張した。当日、明石署を取材していた神戸新聞が橋の上が映るモニターカメラやVHSの箱まで映している。今度は「テープを紛失した」とごまかした。遺族らは「2人は危険を十分に承知しながら行きもせず、行かせる指示もしなかったことが明確になるために隠した」と見る。

 

 

 

 

 

 

 

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