菊池章子『星の流れに』 「こんな女に誰がした」の言葉に怒り込め

  • 2022/9/25

「こんな女に誰がした」の歌詞で知られる「星の流れに」。この歌が生まれたのは、旧満州(現・中国東北部)から引き揚げてきた一人の女性の投書がきっかけだった。怒りが込められたこの曲。ジャーナリストの三谷俊之さんは「無謀な戦争を引き起こし、悲惨な結果を招いた者たちへの激しい怒りであった」という。(新聞うずみ火編集部)

 

星の流れに 身を占って 何処をねぐらの 今日の宿

荒む心で いるのじゃないが 泣けて涙の 涸れ果てた

こんな女に誰がした

『かえり船』を作詞した清水みのるが書き、利根一郎の曲、菊池章子が唄った。この曲は精神においてブルースだ。歌にはモデルがいた。1947(昭和22)年夏、東京日日新聞(現・毎日新聞)に旧満州(現・中国東北部)から引き揚げてきた一人の女性の投書が掲載された。元従軍看護婦だった彼女は奉天(現・瀋陽市)からようやく実家のある東京に辿り着いたが、戦火で焼け野原となり家も家族もすべて失われた。身一つになった彼女は夜の女へ転落した。敗戦時、生活苦から身を売ったり、米兵に暴行され転落した女性たちは引きも切らなかった。

清水はその投書を読み、こみ上げてくる戦争への怒りや、やるせなさに体を震わせながら書き上げた。単に悲嘆にくれるとか自嘲するとかではなく、「こんな女に誰がした」と怒りを噴出させた。それは無謀な戦争を引き起こし、悲惨な結果を招いた者たちへの激しい怒りであった。彼女たちは「パンパン」と呼ばれた。これは当時の歴史的な呼称である。この曲の最初のタイトルは『こんな女に誰がした』だったが、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から「反米感情を煽るおそれがある」とクレームがつき、タイトルを『星の流れに』に変更した。

菊池章子

評論家の平岡正明は大著『大歌謡論』(筑摩書房)で「昭和22年歌謡論」として幾つかの仮説を展開している。

「戦後歌謡曲史は敗戦の年の秋『リンゴの唄』に始まり、翌年の田端義夫『かえり船』を経て、昭和22年に『東京ブギウギ』と『星の流れに』の双極にいたる」「『星の流れに』も大陸から1本、手を出されて成立している。『満州国』崩壊→戦後日本への環流である」と説き、そして「昭和22年は歌謡曲史上、名作を産んだ年である。他に『夜のプラットホーム』の流行、平野愛子『港が見える丘』、ディック・ミネ『夜霧のブルース』とそろうと、いずれも名唱で、戦後歌謡曲史の陣容はなったと評価するべきである」と述べる。続いて「これらの曲で大陸からの環流が日本の戦後過程に血肉化されて、この時期の流行歌はスケールの大きさを感じさせる」と論じた。

平岡が挙げた同年の曲、平野愛子が歌い、後年、ちあきなおみのカバーで心に沁みる『港が見える丘』は、横浜が舞台だ。1番が「あなたと2人で来た丘」で、2番が「あなたと別れた丘」、3番が「あなたを思うて来る丘」で、「ウツラトロリと見る夢、あなたの口許、あの笑顔、淡い夢でした」となる。港が見える丘で会い、そして別れた彼はおそらく戦場に行き、戦死したに違いない。

いま桜は「色あせ」、潮風、浜風が葉桜を揺らす。それはまるで「桜の木の下には人の死骸が眠っている」という梶井基次郎的世界を想起するとともに、戦争の死の影が濃厚に漂う。なによりこれらの歌は、敗戦ゆえに露出した民族的なるもの。国際的なもの。階級的なものが、それぞれ戦後的な照明のなかに浮かび上がる。それゆえ、平岡はこう結論づける。「これらの歌は戦後思想を領導した。世が歌につれた」と――。(ジャーナリスト 三谷俊之)

 

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