「もう一度戦争をやらなければわからないのかと思いました」瀧本邦慶さんが遺した講演から(4)

最前線のトラック島に送られた海軍兵の瀧本邦慶さん。連日のように空襲に見舞われ、食べる物もない。骨と皮にやせ細り、隣で寝ていた戦友が翌朝には死んでいた。「お国のために」と、17歳で海軍を志願した瀧本さんは気づく。「こんな戦争は間違っている。国に騙されていた」。戦後、帰国した瀧本さんは80歳を過ぎてから自らの戦争体験を語るようになる。(新聞うずみ火 矢野宏)

 

戦後、復員した瀧本さんは大阪に移り、石油卸業を営みながら図書館に通い、すべての戦史を読破した。「本当のことを知りたい」という思いからだった。

政治家や軍の上層部は絶対に最前線に行かない。作戦失敗の責任も取ろうとしなかったことに怒りを感じた。「生かされた者の責任」として、瀧本さんは80歳を過ぎてから大阪府内の小中高校、大学などを回り、戦争がいかに愚かなものか、語り部として若い世代に訴えてきた。

「私の話は理屈ではないんですわ。理屈抜きの本音です」

瀧本さんは「自衛隊は国民を守るためにあるのではありませんよ。国を守るためにあるのですよ」と訴える。「だから、かけがえのない命を大事にしてください。自分で守らないといけない。そのためには、国はウソをつくということを知ってください」

2016年の夏には、講演依頼を受けた中学校に突然キャンセルされた。事前に打ち合わせに来た教諭から報告を受けた校長が「今の政治体制を批判するなら都合が悪い」と連絡してきたのだ。

さらに7月10日の参院選で、改憲勢力の議席数が衆院に続き、3分の2を超えた。この結果に、瀧本さんは「語り部をやめよう」と考えた。

「講演をしても効果がない。なんで騙されるのか。あんな政府というても、我々が投票した結果でしょ。もう一度、戦争にならないとわからないんやろかとも思いました」

だが、語り部を続ける決意をする。「今の大人たちではなく、これから国を背負っていく若い人たちにきっちりと話しかけて、命を大切にしてもらわなあかんと思い直しました。これからは若者を主体に、私の戦争体験を話していこうと思うとります」

最後に、瀧本さんは「私は95歳ですが、もっともっと長生きしてね、伝えなアカンと思うとります」と語り、講演を締めくくった。(2016年12月10日)

 

この講演から2年後の2018年12月28日、瀧本さんは入院していた吹田市の病院で誤嚥(ごえん)性肺炎のため亡くなった。97歳だった。
新型コロナウイルスの感染拡大のため、開催が延期となっていた「瀧本さんを偲ぶ会」は5月28日午後2時から大阪市中央区のエル大阪で開かれる。

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