「戦死した息子の葬式で涙を流す母親は非国民と言われた時代だった」元海軍兵の瀧本邦慶さんが遺した講演から(1)

戦争がいかに愚かなものか、語り部として若い世代に訴え続けた元海軍兵の瀧本邦慶さん(享年97)が亡くなって3年半になる。「お国のために」と、17歳で海軍を志願。空母「飛龍」に航空整備兵として乗り込み、体験した真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦。5月28日の「偲ぶ会」を前に、瀧本さんが語った戦争体験をあらためて紹介する。(新聞うずみ火 矢野宏)

瀧本さんは1921(大正10)年、香川県桑山村(現・三豊市)で農家の長男に生まれた。

「小学校に入ると『男の子は大きくなったら兵隊さんになって、天皇陛下のため、お国のために戦いなさい。戦死したら靖国神社に神としてまつられる。それが男として最高の名誉だ』と教えられました。小学1年の時からずっとそう教えられるのですから、完全に洗脳されるわけです」
34(昭和9)年に旧制の商業学校に入学。3年の時に日中戦争が始まった。

「当時の世相は軍国主義最高潮。お国の意のまま動くように教育されていきました。中国から戦死者の遺骨が帰ってきます。遺骨がそれぞれの家に戻ると、各市町村で合同の葬式をします。年老いた母親が息子の遺骨が入った白木の箱を祭壇へ飾っていく。母親にしたら涙が出るやないですか、大事な息子が無理やり戦争へ引っ張られて戦死し、その遺骨が帰ってきたのですから。ところが、いったん戦争となれば、みんなの考え方が変わるのです。『葬式の場で母親が涙を流すのは非国民だ』と言われるのです」

17歳で海軍を志願した瀧本さんを待っていたのは、海軍伝統の「いじめ」だった。樫の木で作った大きなバットで毎日、理由もなく、古参兵に尻を思い切り殴られた。

「気の弱い者は気絶したり、身体の弱い者は一発で倒れたりします。倒れても、引き起こされてまた叩かれるのです」

命の危険を感じるほどのいじめから逃れるため、瀧本さんは海軍の専門技術を学ぶ学校に入る。半年後、飛行機整備兵として乗り込んだのが空母「飛龍」だった。

空母は、飛行機が発着するための甲板を乗せた巨大な軍艦。海の上に浮いているところは飛行機を収納する格納庫で、海から下の部分が機関室である。

41(昭和16)年11月、択捉島を出港した飛龍をはじめ、日本海軍が誇る機動部隊は北太平洋の荒波の中、ハワイ・真珠湾を目指した。12月8日の奇襲作戦で米兵ら2400人が犠牲になった。

「帰港すると、国内は『勝った、勝った』と大騒ぎでした。小さな島国である日本が中国から南太平洋へ戦線を拡大し、大国であるアメリカやイギリスと戦い抜くことができるのかという不安がよぎりました」

その不安は半年後に的中する。半年後のミッドウェー海戦である。

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