放火事件から9カ月…苦難乗り越え「ウトロ平和祈念館」オープン

ウトロ

太平洋戦争中、飛行場建設に従事した朝鮮人労働者の子孫らが暮らす京都府宇治市のウトロ地区に地域の歴史を伝える「ウトロ平和祈念館」が4月30日にオープンし、6日間にわたって開館記念式典が行われた。最終日の5月5日には銅鑼や太鼓などをたたいて踊る伝統芸能の農楽などが披露された。(新聞うずみ火 矢野宏)

JR京都駅から近鉄の各停電者で25分。伊勢田駅から徒歩約10分の住宅地にウトロ地区がある。現在は約50世帯90人が暮らす在日コリアンの集住地区。ウトロは地名の「宇土口(うとぐち)」が転じた名称だという。

戦時中に京都飛行場建設が計画され、国策会社によって動員された朝鮮半島出身の労働者や家族が寝起きした木造平屋建ての宿舎「飯場」がウトロの原型になった。
戦後も下水道や排水が整備されず、放置された。1988年まで水道もなく、地下水をくみ上げる生活を強いられた。地盤が低いため、大雨が降ると地区内は水浸しに。
住民の中には、貧国から学校教育を十分に受けられなかったり、結婚や就職などで差別に遭ったりした人も少なくない。

1989年にウトロ地区の土地(約2万1000平方メートル)を買収した不動産会社が明け渡しを求めて提訴。2000年には住民の立ち退きを命じる判決が最高裁で確定した。しかも、自費で更地にして立ち退くようにという厳しい判決内容だった。
住民と支援者は、日本や韓国でウトロの実情を訴える活動を展開。日韓市民の募金や韓国政府の支援もあり、土地の一部を買い取った。
立ち退きを求められた住民のための公営住宅2棟が建設されることになり、2018年に1期棟が完成し40世帯が入居。今年2期棟の工事が始まり、来年には残りの住民全員が入居する予定だ。

祈念館着工をひかえた昨年8月30日、突然火災が発生した。住宅はもちろん、祈念館で展示する資料を保管していた倉庫など計7棟が焼けた。
昨年12月中旬に訪ねた時、現場の向かいに住む80歳の男性に話を聞いた。
「午後4時過ぎでした。テレビを見ていたら『パーンパーン』という音がしたんです。ウトロの飯場跡を平和祈念館に移築するための工事をしていたので、その音かと思ったら煙が出ているのがわかって、あわてて外に飛び出しました」

ウトロで70年間暮らしている在日2世。家のホースで水をかけたが、火勢は強まるばかりだった。「消防車が来るから!早く逃げて!」と近所の人たちに制止されたという。現場との距離は約2メートル。延焼はまぬがれたが、網戸や雨どいは焼け焦げ、盆栽も焦げて変色していた。
「今もちょっとした物音がするとビクッとしてしまう」と不安そうに語る姿が今も忘れられない。

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