大阪城に残る軍事遺産(番外編)軍部や政財界、言論界が国威発揚に一役「大村益次郎殉難碑」

大阪城

「軍都」大阪の中心だった大阪城の周りを歩いて見つけた「番外編」。(新聞うずみ火 矢野宏)

大阪市中央区法円坂の国立病院機構大阪医療センター近くの上町交差点に、ひときわ大きな石碑がある。高さ10メートルほどい石碑に刻まれた文字は「兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑」の16文字。明治兵制の創始者、大村益次郎(1824~69)の殉難碑である。

大村は幕末期の長州藩の医師で、兵学者。緒方洪庵の適塾で学び、塾頭を務めている。戊辰戦争で長州藩の軍を指揮、1869(明治2)年には兵部大輔(ひょうぶだいゆう)に任ぜられ、近代陸軍兵制の確立に努力した。大村は大阪城近くに兵学寮(士官学校)と造兵廠(大阪砲兵工廠)を設置し、大阪を「軍都」にする構想を持っていた。

69年9月に京都で不平士族に襲われ、右足に重傷を負った。大阪の「浪華仮病院」(後の大阪大医学部)に転院、右脚切断の手術を受けたが、11月に敗血症のため死亡した。その病院があった近くに碑が建てられたという。

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