大阪城に残る軍事遺産(9)1トン爆弾の直撃まぬがれた大阪城天守閣

市民からの寄付で1931(昭和6)年11月に竣工した3代目天守閣。初代、2代目を抜いて、2021年には「傘寿」を迎えたが、一番の危機は終戦前日の大空襲だった。「大阪城に残る軍事遺産」シリーズの最終回です。(新聞うずみ火 矢野宏)

豊臣秀吉が築いた大坂城の初代天守閣は1585(天正13)年に創建され、30年後の1615(慶長20)年の大坂夏の陣で炎上した。

2代目天守閣は1626(寛永3)年に徳川幕府によって西日本をにらむ拠点として再建されたが、39年後の1665(寛文5)年に落雷で焼失。以後、大坂城には天守閣がない時代が長く続いた。

ちなみに、秀吉の天守閣は大きな入母屋造の建物の上に1階建てから3階建てぐらいの物見を載せた「望楼型」と呼ばれる形式で、「大坂夏の陣図屏風」を見ると、壁面は黒漆喰と下見板の組み合わせた「黒い城」だった。

一方、徳川の天守閣は1階から少しずつ小さくして上の階を積み上げていく「層塔型」という新しい形式で、藤堂高虎が生み出したと言われている。

3代目天守閣は望楼型。永久的なモニュメントとするため、当時としては最新の建築工法である鉄骨鉄筋コンクリート造。大坂夏の陣図屏風にある豊臣時代の天守閣を模し、5層8階建てで高さは約53メートルある。市民からの寄付で1931(昭和6)年11月に竣工し、初代、2代目を抜いて、2021年には「傘寿」を迎えた。

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