大阪城に残る軍事遺産(7)山里曲輪にある石垣に残る機銃掃射の弾痕

大阪城天守閣

東洋一の軍需工場「大阪砲兵工廠」があったことから、大阪城は終戦直前まで何度も攻撃されている。山里曲輪にある石垣には今も機銃掃射痕が残っている。(新聞うずみ火 矢野宏)

 

大阪城本丸の中で、天守閣北側の一段低い一画を「山里丸」、または「山里曲輪」と呼ぶ。

豊臣秀吉が城内に里山の静寂な風情を持った山里曲輪を設け、茶会を楽しんだと言われている。秀吉が死んで17年後に起きた1615(慶長20)年5月8日の大阪夏の陣で、豊臣秀頼と淀君らが自害した場所と伝えられている。

大阪城公園北側の極楽橋から山里曲輪を通って天守閣に向かう道から外れた一画に「豊臣秀頼 淀君ら自刃の地」と刻まれた石碑がある。徳川幕府による大坂城再築工事で秀頼らが自害したとされる山里曲輪も地中深くに埋められ、自害した場所も特定できないはずだが、説明板にはこう書かれている。

〈徳川軍に追い詰められた豊臣秀頼とその母の淀君が、山里丸にあった櫓にひそみ、自害したと多くの記録が伝えている。それらにちなんで平成9年、現在の山里丸の一画に大阪市の手によりこの記念碑が建てられた〉

今も生花が手向けられている。

武庫川女子大名誉教授の三宅宏司さんの案内で、天守閣に向かう坂のスロープを上らず、右手に見える山里曲輪石垣へ。はずれに位置し、周囲には草も生えているため、ここに来る人はほとんどいない。

「石垣の下側に機銃掃による攻撃と思われる弾痕がたくさん残っています。大きいもので直径30センチくらいのものもあり、山里曲輪には陸軍の宿営施設など、軍事関係が密集していたことから攻撃されたと思われます」

太平洋戦争末期、制空権を失った日本は全国各地で米軍戦闘機による機銃掃射を受けた。B29爆撃機による空襲と比べると公的な記録や資料も乏しく、被害の全体像は今もはっきりしないという。

「B29を護衛するために硫黄島の基地から飛んできた米軍の戦闘機P51ムスタングのほかに、米空母が和歌山沖にまでやってきてグラマンF6Fなどの艦載機も飛来し、動くものは子どもであろうが容赦なかった。何でも狙って機銃掃射したのです」

降伏を拒み続ける日本軍の抵抗にアメリカはいら立ち、空襲の歯止めがきかなくなっていた。

 

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