大阪城に残る軍事遺産(6)中国から略奪したこま犬、平和のシンボルに…

夜の大阪城

大阪砲兵工廠研究の第一人者で武庫川女子大名誉教授の三宅宏司さん(77)に案内してもらい、京橋口から城内へ。(新聞うずみ火 矢野宏)

大阪城への入り口は四カ所ある。大手門と青屋門、門のない玉造口と京橋口だ。北西に位置する京橋口は、「肥後石」という大阪城でも2番目に大きい巨石がある入り口だが、観光客は少ない。京橋口近くに中国のこま犬がある。

中国・明の時代の文化遺産で、高さ3メートル、重さ29トンあると説明板には記されている。さらに、こう続く。

〈日中戦争の最中に日本へ運ばれ、当時陸軍第四師団司令部のあった大阪城内に置かれた。……〉

1937年7月7日に北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突、全面戦争に拡大していく。国民党政府の首都だった南京を目指す日本軍は7月29日、天津を空爆、占領する。

案内役の三宅さんは「天津市庁舎前あった一対のこま犬を『戦利品』として国内に運んだものです」と切り出し、こう説明した。

1938(昭和13)年に兵庫県西宮市の西宮球場一帯で開催された「支那事変聖戦博覧会」(大阪朝日新聞社主催)で展示され、戦意高揚に利用された。1940年には、大阪城山里丸に戦争教育のために「大阪国防館」が新設され、こま犬は玄関口に置かれたという。

こま犬が中国からの略奪品だとわかったのは1982年(昭和57)。大阪城築城400年を翌年に控えて調査していく中で判明した。市民らが「大阪城狛犬会」を設立し、中国への返還と、侵略戦争の戒めとするため複製を建立し、平和のシンボルとすることを求めて署名活動を繰り広げた。大阪市は中国に返還を打診したところ、中国は84年、「こま犬返還の申し出は日本人民の友誼の気持ちの表れである」として、こま犬を大阪市に寄贈した。

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