大阪城に残る軍事遺産(3)大阪砲兵工廠旧本館 人目避け取り壊した大阪市

大阪城

終戦前日の大空襲で壊滅的被害を受けた大阪砲兵工廠だが、いくつかの建物は残っていた。大阪砲兵工廠の「旧本館」もその一つだった。大阪砲兵工廠研究の第一人者で武庫川女子大名誉教授の三宅宏司さん(77)に案内してもらった。(新聞うずみ火 矢野宏)

大阪城公園にある多目的アリーナ「大阪城ホール」は、「大阪築城400年まつり」の開催にあわせ、1983年10月に建設された。楕円形型のドーム式で、最大1万6000人を収容できる西日本最大のホール一帯には、「旧本館」と呼ばれていたレンガ造りの建築物があった。

「左右対称形のデザインが美しいレンガ建築で、中央部が3階建て。その上には東西南北から見ることができる時計塔がついていました」と三宅さんは振り返る。「1873年に竣工した、歴史的にも建築学的にも貴重な遺構だったのですが……」

大阪市が旧本館の老朽化、安全確保を理由に取り壊しを発表したのは1981(昭和56)年3月のこと。市民から「移築すればいい」「(大阪城ホールを)ずらせばいいではないか」などの反対の声が上がり、関大の小山仁示教授らが中心となって「旧砲兵工廠本館を保存する会」を結成。三宅さんも保存運動に加わった。

文化庁も調査指示を出していたが、大阪市はそれらを無視。ゴールデンウィーク最中の5月2日、人目に着かぬよう早朝から取り壊し作業を始めた。

「連絡を受けて現場に駆け付けた時には大型重機で引き倒されるところで、写真を撮るのが精一杯でした。涙が出るほど悔しかったですね」

朝日新聞はその日の夕刊で1面トップと社会面にかき分け、大々的に報じた。

社会面の見出しは、<〝歴史の証人〟にむごいツメ 「なぜ人目避け強行」保存運動の人らぼう然>

さらに、5月11日付の夕刊に「『明治建築』まっ殺の衝撃」という見出しとともに、不要派市議のコメントを掲載している。

「…要は建物は消耗品、古いものは京都や奈良に残しておけばいい。だいたい明治、大正の近代建築は西洋のまねごとをした幼稚なものばかりで保存に値しない……」

三宅さんはいう。「当時、戦争に関するものは負の遺産と考える風潮でした。それが今の歴史修正主義につながっているのかもしれません」

旧本館近くに建てられた「砲兵工廠の碑」も大阪城ホールの南西側に移転させられた。「砲兵工廠跡」と刻まれた高さ1・5メートル、幅2メートルの花崗岩の記念碑で、砲兵工廠の元従業員の親睦団体「大阪廠友会」が1959年に建てたものだ。

目立たない木陰でひっそりたたずむ記念碑。その前に敷き詰められた石は、潰された旧本館のものだという。

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