「馬がしゃべった」と書いた噺家・鹿野武左衛門が島流しに
- 2018/5/13
- 落語

落語の楽しさの一つに、発想の自由さがある。ストーリー展開のユニークさや意外性など論じ出したらキリがないが、落語では人間以外のものがしゃべるのも魅力だ。今でこそSFやアニメで、色んなものがおしゃべりする。ま、日本昔話も犬がしゃべればサルもキジもカメだって。天狗も河童も臼までしゃべる。そんな伝統の中に落語もある。
落語では、犬ネコ以外に狼も、タコまでしゃべって、このタコは芝居までする(「蛸芝居」)。しかし、そんな面白さを求めたために、ひどい罪を被った噺家がいたという、笑うに笑えないお話を。
落語が生まれた江戸は元禄年間(1688~1703)。京都、大坂、江戸の三都に3人の職業落語家が生まれた。京都に露の五郎兵衛、大坂に米沢彦八、江戸に鹿野武左衛門。これをもって落語の誕生とするのだが、三都にほぼ同時に落語家誕生は偶然だ。戦国の世が収まり、江戸幕府が開かれて約100年。世間が平和になり、その結果人々の懐が豊かになって文化が芽吹く。京大坂に元禄文化が花開いた。平和でないと文化は生まれない。
京・大坂の落語は順調に育っていくが、受難を被ったのは江戸だ。元禄6(1693)年4月下旬、江戸で悪疫「ソロリコロリ」が流行った。ソロリコロリとはどんな病気か不明だが、江戸の町で死者が1万人を超えたとか。不安におののく人々は薬方を記した冊子を争って求めた。そこには「南天の実と梅干の種を煎じて飲めば治る」とあり、これは馬が人語を発して告げたものだとも記されていた。これで治るはずなどないが、幕府は人心を惑わす不届きと、冊子を作り広めた八百屋惣右衛門と浪人筑紫園右衛門を逮捕。

鹿野武左衛門(虎の巻筆)
ここまではいいだろう。ところが、取り調べられた2人は、噺家・鹿野武左衛門の『鹿の巻筆』巻三「堺町馬のかほみせ」に示唆を得て、馬が物を言ったと書いたと白状した。そのため、武左衛門は元禄7年3月、伊豆大島に遠島に処せられてしまう。5年後、罪を許され江戸に戻ってくるが、島での苦労がたたったのか、4カ月後に死亡。
全くの冤罪事件だ。江戸時代の話とはいえ、ひどいものだ。お陰で江戸ではこの後、100年もの間、噺家が絶えた。権力の横暴が文化をも滅ぼした。
先年、大阪でも知事や市長がいろんな文化事業の補助金を削った。甘やかしはいけないが、文化への無理解はたちが悪い。
人を楽しませようと馬がしゃべる噺を書いて、知らぬ間に犯罪者にされた悲劇。人を笑わせようとして、自分が泣かされた。江戸の話と笑っていられない。現代の世でも、中国やロシア、北朝鮮などをみれば、まともな主張をしても、権力者の気に入らなければ、弾圧を受ける。いや、まともな主張どころか、批判などしなくても、いつとばっちりを受けるかしれない。言論弾圧以前の話だ。
いやいや、他国の話と笑っていられない。わが国だって、ついこの間まで、権力によって人権弾圧が横行した。いいや、権力の恐ろしさは今もさほど変わらない。昨今の官僚や政治家の劣化ぶりはどうだ。公文書は改ざんする、記憶にない記録もないとウソをついても平気。「セクハラという罪はない」と平然と言う大臣。そんな連中が「道徳教育が大切だ」という。いったい子供たちにどんな道徳を教えるつもりなのか。それこそ、馬が笑ってまっせ。ヒンがないと。(落語作家 さとう裕)