
京大複合原子力科学研究所研究員の今中哲二さんの講演「戦争と原発 ウクライナとロシア、チェルノブイリ原発」。チェルノブイリ原発事故から学んだこととは…(新聞うずみ火 矢野宏)
チェルノブイリ原発は、もともと原爆用プルトニウム製造のために開発された原子炉だ。その特徴は、運転しながらでも燃料交換ができること。ちなみに日本の場合は燃料交換に2、3カ月かかるという。
欠点は炉心が大きく、出力制御が複雑だという点だ。
そして86年4月26日、4号機の原子炉が建屋もろとも爆発炎上し、大量の放射能がそのまま放出されるという最悪の事故を引き起こした。定期検査で運転停止するのを機会に、外部電源を失った場合のテストで出力を下げて運転中、原子炉が暴走して爆発したのだ。
翌日には、原発労働者の住むプリピャチ市の住民約4万5000人をキエフから1200台のバスが向かわせて避難させた。30㌔圏内住民の強制的避難が決定したのは事故から1週間後。さらに1週間かけて7万人の避難が完了した。
事故処理に対して当初、ロボットが使用されたが電気系統の故障が相次ぎ、ソ連陸軍化学部隊が建屋周辺に飛び散った燃料や黒鉛などを片づけたという。
今中さんはチェルノブイリ事故調査から学んだこととして「原発で大事故が起きると周辺の人々が家を追われ、村や町がなくなり、地域社会が丸ごと消滅することだ」と指摘した。
さらに、「原子力の専門家として私に解明できることは、事故による被害全体の一側面に過ぎず、被災者にもたらされた災難の大きさを放射線測定器で測ることはできない」と訴えた。
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