俳優・宝田明さんが語った旧満州(下) ソ連兵が自動小銃の引き金を引いた…

旧満州に侵攻してきたソ連兵はやりたい放題だった。略奪、強姦……治安は乱れた。ついには、宝田明さん一家が暮らす社宅にも押し入ってきた。(新聞うずみ火 矢野宏)

 

兄2人は現地召集されていた。社宅から見ると、武装解除させられた関東軍の兵士たちがハルピン駅で貨物車に乗せられている。そのうちの一人が社宅に向かって手を振っているように見えた。「もしかしたら兄ではないのか」と、駅に向かって走った。すると、兵士たちが「帰れ、帰れ」と手で払いのけるような仕草をしている。「何だろうな」と思って近づくと、ソ連兵が走って来て自動小銃の引き金を引いた。ダダダダッ――という銃音が響き渡り、宝田さんは転げるようにして逃げ帰った。「家に帰ったら、右腹部が熱くてしょうがない。見ると、血だらけでした」

病院はソ連軍に接収されている。自宅で赤チンなどを塗ったりしたが、翌日には化膿して膨れ上がり、熱も出てきた。3日目、母が連れてきたのは関東軍の元軍医だった。

「イカを干すみたいにベッドに両手足を縛られ、元軍医は母親に『裁ちバサミはありますか。よく焼いてきてください』と言い、私には『明君は日本男児だろ。少し痛いが我慢しろよ』。母から熱した裁ちバサミを受け取ると、オキシドールをかけて私の腹にブスッと刺した。麻酔なんてありません。激痛で失神しそうでした。さらに十字に切り、まさぐるようにして取り出したのは鉛の弾でした」

鉛は鉛毒で身体を腐らせるから国際法で使用が禁止されていた。九死に一生を得た宝田さんはこう語る。

「傷つけられた相手への恨みは一生消えない。私は助かったが、愛する家族や友人を殺された人の恨みはもっと深い。逆に、自分が傷つければ相手の恨みが残る。『やった』『やられた』という恨みの連鎖が繰り返されていく。戦争とはそういうものです」

引き揚げ列車でハルピンを出たものの、共産党の八路軍に追われた国民党軍が線路や鉄橋を爆破していたため、数時間走ると必ず止まった。ついには歩いて引き揚げ船が待つ港を目指すことになった。

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