俳優・宝田明さんが語った旧満州(上)「夢は関東軍兵士、軍国少年だった」

宝田明

映画「ゴジラ」やミュージカルなどで知られる俳優の宝田明さんが急逝していたことがわかった。87歳。2018年8月にMBSラジオ「ニュースなラヂオ」の取材で宝田さんの自宅を訪ね、幼い頃に過ごした旧満州での生活のこと、ソ連兵に銃撃され九死に一生を得たこと、兄とはぐれた引き揚げなどについて伺い、8月27日に放送し、「新聞うずみ火」で「戦争とは恨みの連鎖」との見出しとともに掲載した。宝田さんの反戦の思いを一人でも多くの方に知ってもらうため、3回に分けて紹介する。(新聞うずみ火 矢野宏)

俳優の宝田明さんは1934年4月29日生まれで、当時84歳。3人の兄、姉と弟が一人ずつの6人きょうだいの4男。父は南満州鉄道株式会社(満鉄)の技術者で、2歳の時に旧満州(現中国東北部)ハルピンに移り住んだ。

ハルピンには日本人だけが通う小学校が3校あった。多くの日本人がそうだったように、宝田少年も中国人を蔑んでいたという。

「同じ年頃の満州人を平気でビンタするなど、驕り高ぶった生意気な少年でした。それが今でも心の傷として残っています」

時代は軍国主義教育の真っ盛り。小学4、5年生になると軍隊に配属され、1泊2日で兵隊と同じような軍事教練を体験させられた。

「朝早く起きて、ベッドを折り目正しく直すのですが、毛布などが少しでも曲がっていたら往復ビンタでした。泣きながら歯を食いしばって朝礼を受け、朝食をいただいたあとは銃剣術の訓練です。屈強な兵隊さんに向かわされ、木銃でダーンと突かれて2㍍ほど吹き飛ばされていました」

流行歌も軍歌や戦意高揚の歌ばかり。宝田さんも軍国少年だった。41年12月に太平洋戦争が始まると、提灯行列に加わり、ハルピン神社の前で東方遥拝を行っている。

「将来は陸軍の幼年学校へ行くか、関東軍の兵隊となって『北の防塁たらん』というような気概で日々を送っていました」

耳聡い少年でもあり、大人たちの会話からハルピンに「人体実験をやっている部隊」があることも知っていた。「関東軍防疫給水部本部」、通称731部隊である。

戦局の悪化についても、父親が可愛がっていた中国人が家に来て「日本はもしかしたら危ないかもしれない」と話していたのを聞いている。(続く)

宝田明さんは旧満州から引き揚げ後、1953年に東宝ニューフェイス第6期生として俳優生活をスタート。54年に映画「ゴジラ」で初主演を果たす。64年に文部省芸術祭奨励賞、72年にゴールデンアロー賞。2012年に舞台「ファンタスティックス」で文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞を受賞。

 

 

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