父で師匠の二代目桂春団治の芸風とは違う三代目、その訳は…

入門しても、すぐに落語は教えてもらえない。まず師匠の家の掃除や身の回りの世話、行儀作法などをみっちり仕込まれる。落語を教えてもらうのも、師匠と相対して坐って口移しで、何度かに分けて一席教えてもらう。

最近はテープを手渡され、「これワシの落語や。覚えたら聞いたるから来い」てな、ずぼらな師匠もいる。

落語界には変わった習慣があり、入門すると、どんな先輩の落語家にでも、稽古をつけてもらえる。それも無償で。というか、先輩によっては稽古をつけた後、「腹減っているやろ。ご飯食べて帰り」と食事をよばれたり、ちょっと一杯付き合うてくれるかと、お酒のお相伴までさせてくれる。

稽古の内容は、師匠や先輩が今高座にかけているネタそのままでなく、先輩が昔、つけてもらった古い型を教えてくれる。師匠や先輩が自分で工夫した内容でないのは、これから工夫して、自分流の落語を作れという教えだ。

憧れて入門したわけだから、弟子は師匠に似た芸風になる。そこから徐々に自分なりの芸を作り上げていく。それでも師匠の芸風をいつの間にか受け継いでいく。

戦後滅びかけた上方落語を現代の隆盛に導いた上方落語の四天王(松鶴・米朝・小文枝・春団治)は、見事に独自の芸風を作り上げた。豪放の松鶴(六代目)、知的な米朝。はんなりとした小文枝(後・五代文枝)、華麗な春団治(三代目)。4人とも師匠が違うのだから当たり前と思うかもしれないが、三代目春団治は、師匠にあたる二代目春団治とまったく芸風が違う。

桂枝雀

二代目とは実の親子でありながら、それはなぜなのか。不思議だった。二代目は残っているテープを聞く限り、六代目松鶴にそっくりなのだ。それもそのはず、六代目松鶴は二代目春団治が好きで、「いつも高座の横で二代目さんの噺を聞いてはりました」と、二代目の奥さんから直接お聞きしたことがある。ただ、五代目松鶴と二代目春団治は芸風が似ているので、六代目は両師匠の芸風を継承したというべきか。

で、三代目春団治は先輩の六代目松鶴への遠慮もさりながら、対抗心もあったのだろう、努力して自分なりの芸を練り上げた。三代目を継いだ頃、ネタを増やそうと米朝に「皿屋敷」などの稽古をつけてもらっている(「米朝物がたり」朝日新聞2018・6・11)。
米朝とは一味違った「皿屋敷」になり、絶品と評された。お陰でわれわれは、それぞれ色合いの違う落語を楽しめるわけだ。

芸風と言えば、爆笑王と呼ばれた桂枝雀。桂米朝の弟子で、小米時代は本格派でどちらかというと落語はうまいが、少し暗い印象の噺家だった。それが、1973年10月に二代目桂枝雀を襲名すると、がらっと芸風が変わり、噺を大胆にデフォルメしたり、オーバーアクションともいえるしぐさの面白さ等々で、明るくおおらかな芸を作り上げ爆笑王になった。

枝雀はある時期から自分のネタを60席と決め、それを小さな板に書き出し、順に毎日「ネタ繰り」と呼ばれる稽古を繰り返し、研鑽に励んだ。毎日散歩に出ては、ぶつぶつと声に出して稽古をする。熱中のあまり気が付いたら道に迷ったことも、数えられないという。
新しい芸風を生み出す道も、何度も踏み迷ったことだろう。(落語作家 さとう裕)

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