「たまらなくおかしかった破天荒の美」昭和の名人古今亭志ん生

テレビのない時代、ラジオの浪曲や漫才を聞きながら育った。そうそう、ドラマも。強烈に覚えているのは「赤胴鈴之助」。♪剣を取っては日本一の、ゆーめ(夢)は大きな少年剣士……、いまだに主題歌が歌える。

何曜日か忘れたが、夕ご飯が済むと四畳半の一間いっぱいに布団を敷いて、両親と妹弟、家族5人が布団に潜り込む。すると、親父がラジオのスイッチを入れ、部屋の明かりを消す。そう、真っ暗な中でラジオから流れて来たのは「お父さんはお人好し」。花菱アチャコのお父さん、浪花千栄子がお母さんのホームコメディ。一家団欒、暗闇の中で笑い声が……。

小学校低学年、創刊間もない『週刊少年サンデー』に小咄が載っていた。神社に盗みに入ったコソ泥が仁王門まで逃げてくる。と、仁王さんがコソ泥をギュッと踏みつけた。腹具合の悪かったコソ泥、腹を踏みつけられたのでプー!。仁王さん思わず鼻をつまむと、コソ泥が「におうか?」。

今みると大したオチでもないが、子供心にへぇーと感心した。母方の祖父が落語フアンだった。テレビ放映が始まり、祖父の横でテレビの落語放送をよく見た。今も覚えているが、頭がツルツルのふくよかだが、難しそうな顔をした爺さんが、何かしゃべっている。東京の落語家であるし、こちらは子供だし意味もよく聞き取れない。しゃべり方はゆっくりだが、ボソボソしゃべる。が、ちょっとしゃべると客はゲラゲラ、時にドッカーン! 不思議だった。内容は後に知ったのだが、「あんな男のどこがいいんだ、ア~、別れちまいな」「だって、冬、寒いんだもん」。こんな夫婦の機微が、子供に分かろうはずがない。それでも、大人はこんな爺さんの何を面白がっているのだろうと、気になった。この落語家こそ昭和の名人古今亭志ん生だった。

五代目古今亭志ん生

昭和の三大名人と言われた桂文楽は、一点一画もおろそかにせず、同じ噺なら毎回秒数まで同じといわれ、磨き込まれた芸だった。もう一人の名人三遊亭圓生は端正な芸風だったが、志ん生は破天荒の美とでも言おうか、たまらくおかしかった。テレビで息子の古今亭志ん朝が志ん生の凄さを語っていた。

「俺がウ~って、言うだろ。すると、だんだん客がこう、前のめりになって来るんだ。そこで、ポッと面しれえことを言うとな、ドッカ~ンとくるんだよ。それがたまんねえんだな」と志ん生。志ん朝は「若い噺家はそんなことできないんだよ。間が持たない。その間が怖いんだ」と。

若い頃は役者として、テレビのホームドラマによく出ていた志ん朝だが、中年近くで落語に本腰を入れ始めた。何しろ芸歴に勝る談志を差し置いて、先に真打になったぐらいの志ん朝なのだ、メキメキと腕を上げ、押しも押されぬ真打になった。

彼が生前、大阪へやって来た時、たった一度だが酒席を共にした。と言っても、十人程の人たちの末席に連なっていただけだが、それでも志ん朝はカッコよかった。だいたい噺家は着物を脱いで、私服に着かえると普通のおじさんになるが、志ん朝は違った。高座にも色気があった。後にも先にも、男性に色気を感じたのは志ん朝だけだった。(落語作家 さとう裕)

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