「破顔一笑 会場は大爆笑」言葉を超えた六代目笑福亭松鶴の笑顔

三代目春団治の「皿屋敷」に衝撃を受けた。

怖いもの見たさの若者が、皿屋敷へ行く途次、「やっぱり怖いからここで帰る」というと、友人に「もうお前とは付き合いせえへん」と叱られても帰ると言い張る。「そんなら帰れ、けど、幽霊は井戸から出るとは限らんぞ、さっき通ってきた藪のあたりを……避けては帰れんわなあ……」と脅され、しぶしぶ同行する。

それでも怖いので自分の前にも後ろにも横にまで友人を配し、前からお化けが出てきたら後ろへビューと逃げる。後ろから出たら前へ、横から出たら反対へ逃げるというと、友達が、前や後ろからやとええが、上からニューと出るかも……と言われ、誰か俺の上へ横になれ……。

実に、怖がりの心理を的確に描写しており、さらにデフォルメして膨らませることで笑いへと昇華するという見事な演出。共感と意外性とデフォルメが笑いに。

これか! と得心した。というのも、それまで多くの文化人知識人が落語のおもしろさ、素晴らしさを指摘していたが、愚かにも落語は馬鹿馬鹿しいおもしろさに満ちた芸という浅薄な理解でしかなかった。が、この時初めて落語の奥深さを知った。

それからはせっせと地域寄席やホール落語に足を運んだ。家では落語放送を録音し、LPの「桂米朝上方落語大全集」に耳を傾け、片っ端から落語や演芸関係の書籍を集めて読みふけった。

気づいたのが落語は生き物。演者によって生きもすれば死にもする。同じ噺が演者次第でガラッと変わる。噺と演者は一体だ。

六代目笑福亭松鶴

桂米朝は学生時代を東京で過ごし、寄席演芸研究家の正岡容(いるる)の門下生であった。その影響か、知的で学者のような落ち着きと話しっぷりで、誠に分かり易い。また、古いオチで分かりづらいと、マクラでさりげなく解説したりと客への配慮も十分。一方で滅びかけている古典落語を掘り起こして復活させ、新作落語も手掛けたりと精力的な活動ぶりだった。

六代目笑福亭松鶴は、豪放磊落な印象ながら緻密な描写の落語であった。生で初めて見た松鶴の「らくだ」は圧巻だった。1984年、北御堂津村ホールの「松鶴・仁鶴極めつき十三夜」。

らくだは町内の嫌われ者。そのらくだがふぐに当たって死ぬ。来合わせた兄貴分のヤタケタの熊が、たまたま通りかかった屑屋と2人でらくだの葬式(そうれん)を出してやろうと。
六代目は鬼瓦のような風貌。それゆえ、ヤタケタの熊はぴったり。しょっぱな、らくだを訪ねて来て、「おい、らくゥ……らくだァ……留守かいな、オイ、いやがらへんのかい」。このひと言で場内粛然。らくだを見つけ、声をかけるが返事がない。で、「どぶさって(寝て)けつかるのか思たら、ごねて(死んで)けつかる」と。古い大阪弁に戸惑う私を尻目に、会場のあちこちで笑い声。その後、来合わせた気弱な屑屋がヤタケタの熊に、「らくだが死んだ」と聞かされた途端、一瞬の間をおいて松鶴が破顔し、途方もない笑顔。この顔がいまだに忘れられない。

人が死んだというに 不謹慎ともとられかねないシーンだが、あの笑顔と笑い声が爆笑を生んだ。師の笑顔は言葉を越えていた。落語は凄い芸だと腹の底へ沁み通った。(落語作家 さとう裕)

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