小咄が長くなって一席の落語になった「池田の猪(しし)買い」小咄育てた先人の苦労

落語とボクシングには共通点があるのかと考えていて、はたと気が付いた。ボクシングや野球というスポーツは筋書きのないドラマだという。落語はまさにドラマだ。

そういや昔の合戦なんてドラマもいいとこだ。関ヶ原の戦いだって、調略やら裏切り寝返り、ドラマだらけ。本能寺の変を誰が予想した。近年だってソ連の崩壊や東西ドイツの壁がなくなるなんて、誰も想像すらしなかった。人生はドラマに満ちている。人生100年時代なんていうが、明日ガンだと告げられるかもしれないのだ。

毎年冬場になるとかかるネタ「池田の猪買い」。実は落語が誕生した元禄時代には、江戸でもう演じられていた。落語の元祖の一人、初代露の五郎兵衛は晩年露休と名乗ったが、死後、宝永2(1705)年に出版された『露休置土産』に、「野猪の蘇生(いのししのよみがえり)」としてオチの部分が載っている。

新鮮な猪肉を求めに来た男と猟師が言い争っているうちにイノシシがトコトコ逃げ出す。で、「あの新しさをご覧ぜ」という。今以上に食べ物の新鮮さにこだわった、江戸時代の人々の心情が読み取れる。

桂枝雀

落語家がマクラでよく「落語というのは、小咄が長くなって一席の落語になった」と説明するが、この噺はまさにその証明。不勉強でつまびらかにしないのだが、池田の猪買いがいつ頃誰の手によって、現行のような形になったものか不明だが、一朝一夕で出来上がったものでないのは確か。

300年以上の月日の中で、多くの落語家が高座にかけるうちに、前半の冷えに悩む男が池田の山猟師を訪ね、新鮮な猪の身が欲しいと言い、渋る山猟師の六太夫を猪撃ちに連れ出すというくだりを工夫案出したのだろう。それはただ一人の噺家によるものではなく、何人もの噺家の創意と工夫、涙ぐましい努力があったはず。そんな苦労が多くの古典落語の背後にはあると思うと、なんともいとおしい。

原点に戻って、最初、この噺が小咄であったのはなぜか? これだけでなく、初期の落語の多くが小咄であったのはなぜか? 図版をご覧いただければ分かるのだが、当時の落語家は神社の境内などで、簡単な小屋を建てたり、床几の上に座ったりして道行く人の足を止め、芸を披露して投げ銭を得ていたのだ。そんな場所で長い噺をやっても、まず聞いてもらえない。いろいろと工夫をこらし、小咄や形態模写、なぞなぞ、なぞかけなどをして、道行く人の足を止め、こちらを向いてもらったのだ。結果、面白い噺は生き残り、時代に合わない噺や心に訴えかけない噺は淘汰されていった。

これまでに消えていった噺は一体どれぐらいあったのか。いや、現在も演題は残るが、ほとんど演じられなくなっている噺も多い。たくさんの噺家の手によって大切に語り継がれ、守られてきたのが古典落語だ。今聞ける落語を大切にとつくづく思う。(落語作家 さとう裕)

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