根強く残る差別の現状をあぶり出す ドキュメンタリー映画「私のはなし 部落のはなし」

さまざまな立場の人々が「自分のはなし」として部落差別問題を見つめたドキュメンタリー映画「私のはなし 部落のはなし」が大阪市淀川区の第七藝術劇場などで公開された。監督は1986年生まれの満若勇咲さん。部落差別の起源と変遷、個々の「語り」を丁寧に描き、根強く残る差別の現状をあぶり出した。(新聞うずみ火 栗原佳子)

「15年前の自分に欠落していた視点で描きました」という満若監督=大阪市淀川区

満若監督は京都府出身。大阪芸大映像学科3回生だった2007年、兵庫県の屠場を舞台にしたドキュメンタリー映画「にくのひと」を製作した。働く人たちの姿や彼らの部落差別に対する率直な思いをカメラに収めた作品は高い評価を受け劇場公開が決定。しかし、地名を明らかにしていることなど一部表現について抗議を受け公開を断念した。「協力してくれた人たちへ不義理を働いた」という強い後悔が残った。部落問題とも距離を置いたという。

 

卒業後は映像制作会社でテレビドキュメンタリーの撮影を担当。10年余り経験を積み、「作り手の責任」を日々突き付けられる中、かつての自分の「作り手としての詰めの甘さ」を痛感したという。部落問題に対する認識が欠けていたと自覚、「もういちど向き合おう」と決意した。

 

その頃起きたのが「全国部落調査」復刻版出版事件。川崎市の出版社「示現舎」が、政府の外郭団体が1936年に作成した調査報告書「全国部落調査」の復刻版販売をネットで発表。全国の5367カ所の部落の住所、人口、職業などが詳細に記載されたもので、234人が同社と代表らにリスト削除や出版差し止めなどを求め東京地裁に提訴した。満若監督も傍聴に通った。

 

ただ、部落問題を映画でどう描けばいいのか悩み続けた。そんな中、出会ったのがネットの差別投稿をモニタリングする男性。彼や同じ地域の若者たちが部落問題について素直に思いを話し、真摯に耳を傾け対話する姿に接し、満若さんは「はなす」という描き方にたどり着いたという。

 

膨大な量の書籍も読んだ。特に〈部落差別は、被差別部落の外からの視線(まなざし)によってつくられてきたもの〉という静岡大学の黒川みどり教授(日本近現代史)の一文に心動かされた。「1871年の賤民廃止令以降、『部落』は時代ごとの理由によってさまざまな名称をつけられ残され続けています。『部落』を『言葉の入れ物』だとイメージしました。『入れ物たる部落』はぼくたちの意識の中にある。だから、人々の『はなし』を通じて『部落』が映画の中にあらわれるのではないかと考えました」と満若監督。作品では黒川教授が、賤民、被差別部落民の歴史や実相を、黒板にチョークというスタイルで説明している。

 

近畿・中部を中心に都市部や農村、若者から高齢者まで各世代に話を聞いた。「にくのひと」で監督が対峙した一人は出自を暴かれたことで最愛の娘を自死で亡くしていた。

 

一方、示現舎の代表、身元調査を肯定する人たちにも取材した。法律や制度の上で部落や部落民は存在しない。しかし厳然と残る差別意識。堆積した差別の歴史と複雑に絡み合う背景に迫る3時間半だ。

 

第七藝術劇場シネマート心斎橋京都シネマ京都みなみ会館東京ユーロスペースで上映中。全国で順次公開。

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