「破門の波紋」師匠の骨まで愛して 落語でラララ(11)

児童虐待のニュースを聞くたびに胸が痛む。なぜいたいけな子どもを親が虐待し、死なせたりするのか? こういうニュースを見るたびに、落語家の師弟愛を思い浮かべる。血のつながりの有無にかかわらず親子とは? 人と人の結びつきとは?と考える。

 

2018年9月「六代目笑福亭松鶴生誕百年祭」が繁昌亭を中心に約1週間開かれた。稀有なことだ。他の一門はそうでもないが、六代目松鶴一門は子弟間の仲が微妙で、みんなが一堂に会するのは不可能と言われていた。孫弟子まで合わせて70数名をまとめたのが、直系弟子の笑福亭鶴笑さん。

 

六代目は1986年9月5日、68歳で逝去。昨年が三十三回忌で生誕100年。当日パンフには、直弟子の皆さんの思い出話が載っていた。六代目が普段、いかに理不尽な怒り方をしたか、酔えばどれほどハチャメチャな行状であったか等々、流石に噺家さんだけに面白おかしく書いてあった。また、どのコメントも師匠への愛や追慕の情がほの見えてほほえましい。鶴光さんは初舞台、ウールの安物の着物しかなく、それで高座に上がろうと新世界の新花月の楽屋に入ったら、師匠から羽二重の黒紋付が「おめでとう」のメモと共に届いていて、大泣きしたという。こんな気配りもできる師匠だからこそ、いつまでも慕われるのだろう。

 

もう随分昔の話だが、ある師匠から3人のお弟子さんが破門されるのを、目のあたりにしたことがある。その師匠は凄くマスコミで売れた方だった。が、その頃、人気にやや陰りが見られ、ちょっと気落ちされているので、弟子たちがそろって師匠のご機嫌伺いに行くので、一緒にどうかと誘われ同行した。当時、弟子はその3人だけで、昼前にご自宅に着くと、師匠はすでにビールを飲んでおられ、奥さんが手料理をふるまって下さった。

 

 

私は駆け出しの落語作家で、それでも師匠のお弟子さんたちとご縁があったもので、売れっ子の師匠とお会いできるだけで、物凄い緊張とワクワク感の中にいた。師匠も弟子が顔をそろえて来てくれたのが嬉しかったのだろう、上機嫌で迎えて下さった。しばらくビールを飲みながら歓談していると、「三題噺をやろうか」と師匠が言い出した。その頃、「らくごのご」というTV番組が流行っていて、客から三つのお題をいただき、ざこば師と鶴瓶師が即興で落語に仕立てるという人気番組だった。私に三つの題を出すようにと言い、「お前ら順番に噺を作れ、俺が落ちを付けたる」と。4人の噺家の即興噺を、客は私一人というぜいたくな時間だった。その後、ワイワイガヤガヤ遊んでいると、あることで師匠が立腹され、筆頭弟子に「お前は破門や!」。慌てて仲裁の言葉を述べた下の弟子にも「お前らも破門じゃ」。3人とも破門されてしまった。私は、あ然としてその場で凍り付いていた。その後、しばらくして全員破門が解けたのだが、数年後、師匠は若くして他界された。

その一周忌だったか、法事が終わって墓の前に一升瓶を置いて、くだんの弟子が3人で呑み出した。酔いが回り、誰かが墓石をずらし、中に収められていた師匠の骨を取り出すと、ボリボリ齧り始めた。泣きながら3人は叫んだ。「師匠、なんで死んだんやー!」。(落語作家 さとう裕)

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