非効率な役所仕事を皮肉った新作落語「ぜんざい公社」

落語会に通い出して、まだ古典も新作もよく分からない頃、「ぜんざい公社」を聞いた。この噺で新作落語の存在を知ったように思う。「ぜんざい公社」は四代目桂桂文紅(1932~2005)作。文紅師は当時珍しい大卒の落語家で、噺はさほどではなかったが、珍しい噺を持っていたり、テレビの構成作家など多方面で活躍されていた。また、私の新作落語を初めて高座にかけていただいた思い出深い師匠でもある。ただ、そこにはほろ苦い思い出が詰まっている。その話は次回に譲ることにして、「ぜんざい公社」。

 

ある男、役所がぜんざい屋を開業したと聞き、食べに行く。名前を聞かれ、生年月日を聞かれ、健康診断書を作れと保健所へ行かされ、ぜんざいの中に入れる餅は生がいいか焼きがいいかと聞かれ、焼きだというと消防署の許可が必要と、あちこちたらい回し。やっと出て来たぜんざいを一口食べると、まったく汁が入ってない。苦情を言うと、「甘い汁はこちらで吸うてます」。当時、お役所仕事は窓口で管轄が違う、あちらへ行け、こちらではない、たらい回しにされ、非効率この上なし。この噺はそんな役所仕事を皮肉った落語で、よくできた社会派の新作落語だ。へえー、こんな落語もあるんやと感心した。

 

今や、お役所も効率は良くなったが、中央省庁ではモリカケの文書改竄や厚労省の統計不正など、目を覆うばかり。第2の「ぜんざい公社」よ、出でよかし。

 

また、「豆狸(まめだ)」という噺にも目を見張った。

 

歌舞伎の大部屋の役者で右三郎、雨の宵、芝居が跳ねて三津寺の前に来かかると、ズシッと傘が重くなった。すぼめてみたが何もない。ちょっと行くと、またズシッ。「ははん、まめだが悪さしてるんやな」と、傘を差したままポーンとトンボを切った。「ギャッ」という声。そのまま家へ。右三郎の家は膏薬屋。昔の膏薬は貝殻の片身に詰めてあり、それを適当な布に張り延ばし、患部に張り付ける。翌日、帰宅すると母親が売れた膏薬の数と金が合わんという。その翌日も、また翌日も。金が足りずに銀杏の葉っぱが一枚混ざっている。

 

数日後、三津寺の境内に貝殻を体中に張り付けたまめだが死んでいた。事情を知った右三郎、あの時トンボを切ったばっかりに。けがをしたまめだは、膏薬の張り方を知らないで死んだのだと哀れに思い、和尚に頼んで回向をしてもらう。親子で狸を埋めた場所を眺めていると、秋風が吹いてきて、狸の墓の上に銀杏の葉がハラハラハラ……。「お母はん、見てみなはれ、狸の仲間からぎょうさん香典が届いたがな」。実に綺麗なオチ。見事な人情味あふれる噺になっている。小説家の三田純市(1923~1994)が昭和41年に桂米朝に書いた新作。古典落語と見まごうような出来。道頓堀の芝居茶屋に生まれた人だけに、噺の背景まで目に浮かぶような作だった。

 

三田先生とは、生前一度だけお目にかかった。小説家として直木賞等を取りたい、中央の文壇で活躍したいと上京したのだが、夢破れ大阪へ戻って来られた直後だった。小柄で穏やかに話をされる方だった。失意のせいだろうか、真冬の寒い日だったからだろうか、寂しそうな印象が瞼に残っている。こんな日々の中で、私も何か新作が書けないものかとぼんやり考えていた。(落語作家 さとう裕)

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