「襲名」めぐって骨肉の争いも…たかが名前 されど名前 

歌舞伎の市川海老蔵が、2022年11月、十三代目市川団十郎を襲名する。初代団十郎は、落語が成立した元禄時代頃に活躍した人気役者。その名跡が延々と受け継がれ、現代においても人気を博すのは、誠に目出たいことだ。襲名と言えば、古典芸能では代々名人の名前が受け継がれている。

 

落語もそうだ。ただ、養子も含め親子が代々名前を継いでいく歌舞伎と違い、落語は弟子が師匠の名前を受け継ぐ。そこで、落語界では誰が師匠の名前を継ぐのか、襲名を巡って行き違いが生じることもある。旧聞に属するが、六代目笑福亭松鶴師(1918~1986)の後を誰が継ぐか、一門が大もめにもめたこともあった。

六代目笑福亭松鶴

 

そこでは、芸風の問題、実力、芸格がどうか? 香盤がどうだ? いろいろと難しいことが言われた。歌舞伎の世界はほぼ世襲で、いわゆる宗家に生まれると、生まれた時から後継者と目され、子役時代から周りが盛り立て、みんなで名題にふさわしい俳優へと育てていく。いわゆるお家芸の継承である。そのことの良し悪しはここでは問わないが……。

 

一方、落語の寄席はある種アンサンブルではあるが、高座に上がれば完全な個人の芸の競い合い。いくら大きな名前を継いでも、本人にそれに見合う力がなければ、客の支持は集まらない。まさに実力の世界。どのような名前であっても、自分の力で大きくする以外にない厳しい世界だ。が、反対に実力があれば、一代で大きな存在になれる。亡くなった立川談志(1935~2011)は、私生活では様々な物議をかもしたが、落語の実力で世間の批判をはねのけた。

 

あこがれの名前を望む場合もある。かれこれ30数年前に、六代目松鶴師の直弟子の方が師匠から聞いた話だと教えてくれた。まだ若かった桂米朝師(1925~2015)がある名前を継ぎたいと松鶴師にもらしたらしい。その名前は、当時東京に行っていた。男気のある松鶴師は、東京へ。当時落語協会の会長であった五代目柳家小さん師(1915~2002)のもとへ行き、頼んだ。が、「彼(故人)には息子がいるではないか」。にべもなく撥ねつけられたとか。数年後、その名前は息子が継いだ。

 

こんな話もある。幕末から明治初年に活躍した初代桂文枝は、近代上方落語の中興の祖と言われ、人気も徳望もあった噺家という。それまで入れ込み噺(前座噺)と言われていた「三十石」を真打の噺にしたのが初代桂文枝だ。ある時、文枝が金に困って「三十石」を質入れし、贔屓の客に受け出してもらったという逸話は有名だ。その文枝が亡くなったあと、四天王と呼ばれた弟子が跡目を巡って争った。二代目文枝は桂文三が継いだが、敗れた桂文都は、「月なくてなんの桂ぞ」と豪語し、月亭文都と改名した(「継ぎてえ」の洒落ともいう)。

 

その後、文都は二代目文枝と事ごとに対立し、遂に明治26年10月、盟友の初代笑福亭福松や二代目桂文団治とともに「浪速三友派」を結成。そこから桂派と三友派が話芸を競い合ったので、落語界は大いに盛り上がり、上方落語の黄金期を築き上げたと言われている。

災い転じて福をなしたのか、骨肉の争いが人気を博したのか。何が功を奏すか面白いものだが、名跡を巡る話は生々しいがどこか稚気あふれる趣もある。名前は単なる符牒という見方もあるが、どこかで人を魅了してやまない魔性がひそんでいるのも事実だ。(落語作家 さとう裕)

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