墜落現場に並ぶ墓標、今も見つかる事故機の残骸…「御巣鷹山慰霊登山」に参加

1985年8月12日、日航ジャンボ機が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落し、乗客乗員520人が犠牲になった事故から33年目の2018年11月、民間航空の労働者で組織する「航空安全会議」大阪支部が行った「御巣鷹山慰霊登山」に参加した。墜落現場に並ぶおびただしい数の墓標、今でも飛行機の残骸が見つかるなど、事故の凄惨さを伝えていた。              (新聞うずみ火 矢野宏)

登山口から御巣鷹の尾根までは800㍍ほどだが、急な山道が続く。勾配のきつい所は階段状に整備され、ベンチも数カ所置かれているが、息が切れる。クマよけの鐘も数カ所、設置されていた。
一行16人は休憩を取りながら小一時間かけて御巣鷹の尾根へ。犠牲者を追悼する「昇魂の碑」に献花し、黙とう。碑の左右には、慰霊登山者がメッセージを書いた短冊を結びつける場所がある。短冊には空の安全を祈念する言葉や亡くなった人を弔う言葉などが書かれているが、その中にこんなメッセージも。「パパ、孫にお嫁さんが来てくれました。今年は一緒に登山しましたよ。見守ってね」
さようならも言えなかった突然の別れ。悲しいけれど、命のバトンは受け継がれている。
参加者の一人が飛行機の残骸と思われるプラスチックやガラスの破片を見つけた。事故直後、山肌にネットをかけて盛り土をしたが、雨水などで流れ、ネットも朽ちたため、あちこちから破片が出てくるという。

朴さんの両親と妹の名前が記されていた

■忘れられる辛さ

4人の生存者が見つかったスゲノ沢へ向かう尾根の斜面に犠牲者の名前を記した墓標が林立していた。その中に、探していた3人の名前を偶然見つけた。友人で在日3世の朴栄致(パク・ヨンチ)さん(52)の父、朴載二さん(享年50)と母の崔フジエさん(同45)、妹の朴知恵さん(同14)。御巣鷹山へ行く前、朴さんから事故当時の様子などを聞いていた。
「父親は貧しい家庭に育ち、小学校もろくに通わせてもらず、丁稚奉公へ行かされたそうです。苦労してようやく鉄工所を持ち、朝から晩まで、土日もなく、仕事していました。家族旅行なんて連れて行ってもらった記憶もありません。家に帰って一人で晩酌しながら阪神タイガースの試合をテレビ観戦するのが楽しみでした。その年に阪神は日本一になるのですが、それを見ることなく逝ってしまったのです」
寡黙だった父親の教えは「人さまに迷惑をかけるな」「人の2倍働け」。
母もしつけに厳しく、「悪いことをしたら正座させられ、はたきで叩かれました。日本人以上に真面目にしないと後ろ指を指されるからという思いだったのでしょう」
3人は東京ディズニーランドへ一泊旅行に行き、その帰りの悲劇だった。

朴さんの両親と妹さんの名前が記された墓標=2018年11月

「体育館には棺桶がずらっと並べられていました。臭いがすごかった。棺桶の一つひとつに『左手』とか『右足』とか書かれていましたが、見ても肉親のものかどうかわかりません。父親のつぶれた顔を見て泣き崩れました。母の顔は見せてくれませんでした。人間の身体はもろい、簡単にこなごなになるのだなあと……。でも、私たちはまだましな方でした」
朴さんは「事故から33年たち、私の末の娘が亡くなった妹と同じ年齢になり、私も父親の年齢を二つ超えました」と話したあと、こう言い添えた。「今でも思い出すのは辛いですが、忘れられるのはもっと辛いです」
朴さんの言葉を思い出しながら、3人の墓標に手を合わせた。

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