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「せめて化粧させてやりたかった」沖縄戦77年、「白梅学徒隊」慰霊祭
77年前、沖縄戦の組織的な戦いが終わったとされる「沖縄慰霊の日」。最後の激戦地の一つ、糸満市真栄田にある「白梅の塔」で6月23日、沖縄戦で犠牲になった県立第二高等女学校の「白梅学徒隊」らを追悼する慰霊祭が行われた。新型コ… -
幕末、上方落語界で隆盛を誇った「立川流」だが…
落語で立川流と言えば談志一門。立川志らくは今や朝のテレビ番組の顔だし、兄弟子の志の輔はNHKの「ためしてガッテン」などでおなじみ。『赤めだか』で一躍名を上げた談春も立川流。今や東京の落語界では一大勢力だ。で、立川流と聞け… -
「済州4・3事件」体験した母の過酷な記憶を記録に ドキュメンタリー映画「スープとイデオロギー」
「ディア・ピョンヤン」(2009年)などの作品で自身の家族史を通し北朝鮮や在日朝鮮人社会を描いてきた映画監督、ヤン ヨンヒさんの新作ドキュメンタリー映画「スープとイデオロギー」が6月11日から大阪市淀川区の第七芸術劇場な… -
「原告は祭祀承継者にはあたらず、請求権はない」と京大側が反論「琉球遺骨返還請求訴訟」(中)
旧京都帝国大学医学部の人類学者らが、研究目的で琉球諸島の墓から多数の遺骨を収奪した。いまも26体を保管する京大を相手取り、子孫らが返還を求めた「琉球遺骨返還請求訴訟」。京大の関係者は法廷に一度も姿を見せなかった。(新聞う… -
大阪城に残る軍事遺産(8)大阪城天守閣の復興のための寄付金で新築した「旧陸軍第四師団司令部庁舎」
京都ミニ―ツアー「まいまい京都」が主催する「大阪城に残る軍事遺産」ツアーに同行し、大阪城天守閣のある本丸へ。そこには二つの「城」があった。(新聞うずみ火 矢野宏) 大阪城天守閣がそびえる本丸にはもう一つの「城」があ… -
大阪城に残る軍事遺産(7)山里曲輪にある石垣に残る機銃掃射の弾痕
東洋一の軍需工場「大阪砲兵工廠」があったことから、大阪城は終戦直前まで何度も攻撃されている。山里曲輪にある石垣には今も機銃掃射痕が残っている。(新聞うずみ火 矢野宏) 大阪城本丸の中で、天守閣北… -
大阪城に残る軍事遺産(6)中国から略奪したこま犬、平和のシンボルに…
大阪砲兵工廠研究の第一人者で武庫川女子大名誉教授の三宅宏司さん(77)に案内してもらい、京橋口から城内へ。(新聞うずみ火 矢野宏) 大阪城への入り口は四カ所ある。大手門と青屋門、門のない玉造口と京橋口だ。北西に位置… -
大阪城に残る軍事遺産(3)大阪砲兵工廠旧本館 人目避け取り壊した大阪市
終戦前日の大空襲で壊滅的被害を受けた大阪砲兵工廠だが、いくつかの建物は残っていた。大阪砲兵工廠の「旧本館」もその一つだった。大阪砲兵工廠研究の第一人者で武庫川女子大名誉教授の三宅宏司さん(77)に案内してもらった。(新聞… -
「せめて一日早く戦争が終わっていれば…」京橋駅爆撃被災者慰霊碑 大阪城に残る軍事遺産(2)
京都ミニ―ツアー「まいまい京都」が主催する「大阪城に残る軍事遺産」ツアーに参加した20人はJR京橋駅南口改札前に集合。「京橋駅爆撃被災者慰霊碑」前で、武庫川女子大名誉教授の三宅宏司さん(77)から説明を受けた。私は毎年8… -
大阪城に残る軍事遺産(1)大阪砲兵工廠 大村益次郎の「大阪軍都構想」
今の大阪城公園、さらには大阪ビジネスパークやUR森之宮団地も含む一帯には、東洋一の軍需工場「大阪砲兵工廠」があり、巨大な兵器工場が建ち並び、学徒動員や徴用工を含め6万人以上が働いていた。終戦前日の1945(昭和20)年8…