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「沖縄復帰50年…琉球人の遺骨を返せ」9月14日から「琉球遺骨返還訴訟」控訴審
戦前、旧京都帝国大(現・京都大)の人類学者らが研究目的で琉球諸島の墓から持ち出した遺骨をめぐり、いまも26体を保管する京大を相手取り、子孫らが返還を求めた「琉球遺骨返還請求訴訟」の控訴審第1回口頭弁論が9月14日、大阪高… -
「芸術は爆発だ」鬼才・岡本太郎が唯一愛したのは沖縄だった
1970年の大阪万博のシンボル「太陽の塔」で知られる芸術家、岡本太郎(1911~96)が旅した沖縄を舞台にしたドキュメンタリー映画「岡本太郎の沖縄(完全版)」が大阪・第七藝術劇場で始まった。監督は葛山(かつらやま)喜久さ… -
京都・笠原寺に大阪空襲犠牲者の慰霊碑「母の墓代わりです」と戦災孤児の片山さん
京都市山科区の笠原寺(りゅうげんじ)に大阪空襲で亡くなった人を弔う慰霊碑がある。「大阪大空襲の体験を語る会」が1980年に建立したが、高齢化でお参りする会員もいなくなり、語る会は2020年3月末に解散した。寂れつつある「… -
明石空襲 戦災孤児の小林さん「両親は盾となって守ってくれた…」
JR明石駅から車で北へ6分ほど。兵庫県立明石公園の北側を切り開いて造成した墓地「玉津南墓園」がある。 「うちの防空壕があったのはこの辺りやわ」 小林さんの視線の先には丘陵の斜面があるだけだが、父親がここに横穴… -
京橋駅空襲から77年 8月14日に被災者慰霊祭
太平洋戦争の終戦前日、米軍による最後の大阪大空襲で数百人もの命が奪われた「京橋駅空襲」。惨劇から77年を迎える8月14日午前11時から、被災者慰霊祭が大阪市城東区のJR京橋駅南口にある慰霊碑前で営まれる。(新聞うずみ火 … -
77年前、大阪で原爆投下の訓練が…「電線に人間の内臓がぶら下がっていた」
大阪市東住吉区田辺に「模擬原爆」が投下されてから77年となる7月26日、爆心地から約300メートル離れた恩楽寺で犠牲者の追悼式が行われた。新型コロナウイルス感染の急拡大のため、例年出席する市内の中学生らはオンライン参加と… -
「せめて化粧させてやりたかった」沖縄戦77年、「白梅学徒隊」慰霊祭
77年前、沖縄戦の組織的な戦いが終わったとされる「沖縄慰霊の日」。最後の激戦地の一つ、糸満市真栄田にある「白梅の塔」で6月23日、沖縄戦で犠牲になった県立第二高等女学校の「白梅学徒隊」らを追悼する慰霊祭が行われた。新型コ… -
幕末、上方落語界で隆盛を誇った「立川流」だが…
落語で立川流と言えば談志一門。立川志らくは今や朝のテレビ番組の顔だし、兄弟子の志の輔はNHKの「ためしてガッテン」などでおなじみ。『赤めだか』で一躍名を上げた談春も立川流。今や東京の落語界では一大勢力だ。で、立川流と聞け… -
「済州4・3事件」体験した母の過酷な記憶を記録に ドキュメンタリー映画「スープとイデオロギー」
「ディア・ピョンヤン」(2009年)などの作品で自身の家族史を通し北朝鮮や在日朝鮮人社会を描いてきた映画監督、ヤン ヨンヒさんの新作ドキュメンタリー映画「スープとイデオロギー」が6月11日から大阪市淀川区の第七芸術劇場な… -
「戦後、旧軍人・軍属は補償されたが、民間人は『その他』のままだった」忘れてはいけない早乙女勝元さん「大阪空襲訴訟」記念の集いでの講演(下)
大阪大空襲の被害者らが国に謝罪と補償を求めた「大阪空襲訴訟」。集団提訴から2周年を迎える2010年12月8日に記念の集いが開かれ、当時「東京大空襲・戦災資料センター」館長で作家の早乙女勝元さん(享年90)が講演。「東京大…