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タグ:空襲
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京都・笠原寺に大阪空襲犠牲者の慰霊碑「母の墓代わりです」と戦災孤児の片山さん
京都市山科区の笠原寺(りゅうげんじ)に大阪空襲で亡くなった人を弔う慰霊碑がある。「大阪大空襲の体験を語る会」が1980年に建立したが、高齢化でお参りする会員もいなくなり、語る会は2020年3月末に解散した。寂れつつある「… -
「空襲犠牲者の無念伝えるのが生き残った者の役割」大阪大空襲の体験を語る久保さん
戦争体験者が少なくなってきている現代において,「戦争体験」の継承がより重要となっている。「大阪大空襲の体験を語る会」が解散したのは2020年3月末のこと。会員の減少や高齢化で活動は年々困難になったことがその理由だった。大… -
明石空襲 戦災孤児の小林さん「両親は盾となって守ってくれた…」
JR明石駅から車で北へ6分ほど。兵庫県立明石公園の北側を切り開いて造成した墓地「玉津南墓園」がある。 「うちの防空壕があったのはこの辺りやわ」 小林さんの視線の先には丘陵の斜面があるだけだが、父親がここに横穴… -
大阪大空襲77年 「まさに生き地獄」在日女性が児童らに体験話す
1945年6月7日の第3次大阪大空襲で母と3人のきょうだいを亡くした在日朝鮮人二世の鄭末鮮(チョン・マルソン)さん(89)=滋賀県野洲市=が、守山市立玉津公民館主催の「小学生自主活動学級」で玉津小6年生48人に空襲体験を… -
戦後77年 民間の空襲被害者の前に「受忍論」の壁
終戦からまもなく77年を迎えるが、今も解決していない補償問題がある。この国は旧軍人・軍属、その遺族にはこれまで約60兆円を支払っているが、民間の空襲被害者には何ら手を差し伸べてこなかった。年々齢を重ねていく中、空襲被害者… -
77年前、大阪で原爆投下の訓練が…「電線に人間の内臓がぶら下がっていた」
大阪市東住吉区田辺に「模擬原爆」が投下されてから77年となる7月26日、爆心地から約300メートル離れた恩楽寺で犠牲者の追悼式が行われた。新型コロナウイルス感染の急拡大のため、例年出席する市内の中学生らはオンライン参加と… -
77年前の神戸空襲犠牲者、新たに40人の名刻む 遺族「どのような形であれ記録に…」
Published by 神戸新聞 1945年の神戸空襲で犠牲になった人の名前が刻まれた大倉山公園(神戸市中央区)の慰霊碑に5日、新たに... (さらに…)… -
大阪大空襲から77年 民族名判明した判明した朝鮮人犠牲者166人を追悼
太平洋戦争末期の第1次大阪大空襲から77年となった3月13日、敗戦まで50回を超えた空襲で命を奪われた朝鮮人犠牲者を追悼する集会が大阪市北区のPLP会館で開催された。(新聞うずみ火 矢野宏) 追… -
今も民間の空襲被害者は置き去りにされている「大阪空襲訴訟」の集団提訴から10年
太平洋戦争開戦から77年となる2018年12月8日を前に、大阪市長居障がい者スポーツセンターで6日、大阪空襲訴訟を伝える会が主催する「戦争被害を考える平和の集い」が開かれた。「戦争孤児―『駅の子』たちの思い」の著者で立命… -
「空襲の犠牲者名簿もない都市も…」松山で初の「空襲記録」全国大会
全国各地の戦争を語り継ぐ団体などが集う「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議」が2018年8月25、26日に愛媛県松山市で開かれた。市民や関係者ら135人が講演や各地の実践報告を通じて、戦争の悲惨さ、平和の尊さを語り継ぐこ…